本屋を航り、本とともに人生を渡る方の話を聞いていく連載企画『本屋を航る、本屋と渡る』
第七回は、『七月堂古書部』の後藤さんにご紹介いただいた、三鷹にある古本屋『水中書店』に伺った。
ジャンルに囚われず、幅広い種類の古本を受け入れ、並べている。そのしなやかさは、まさに水の如し。しかし本で溢れた「水中」を見回すと、店主の今野さんならではのエッセンスが確かにキラリと光っていた。
水中書店を開業するまでの経緯を教えてください。
学生の頃、大学図書館に通うようになったことをきっかけに、本に触れるようになりました。古本屋に行くのが楽しいなと感じ始めたのもちょうど同じ時期です。
今思えば、その頃から「いつか古本屋さんになりたい」という気持ちがぼんやりと芽生えていたように思います。
大学卒業後は、一時期映画の現場で働いて、その後早稲田の大学院に進学しました。修士の2年間は、ジャン・ユスターシュというフランスの映画監督について研究をしていました。
大学院を修了した後は印刷系の会社に就職したのですが、「これまで色々な経験をしてきたけど、この先続けていく仕事として自分が本当にしたいことは何かな」とじっくり考えたときに、「学生時代から好きだった古本屋を、自分でもやってみたい」と思ったんです。それが2011年のことでした。
同じ年に印刷会社を辞めて、それから西荻窪の『古書音羽館』という古本屋で働き始めました。
音羽館では店頭買取のほかに出張買取を任されるようになったりして、古本屋をやっていくうえでのノウハウをしっかりと身につけることができました。
3年ほど音羽館で経験を積んだ後、2014年に独立して、水中書店を開業しました。
古本のどのような部分に魅力を感じますか。
ひとの歴史や偶然を感じられるところでしょうか。
昔、出張買取に行った時に経験した、印象的なエピソードがあります。
成人して実家を出た娘さんの本を整理してほしい、とのご依頼で伺ったときのことです。
部屋にはたくさんの本が積んでありました。
まずは絵本があって、次に少女漫画があって。途中からSFにハマったみたいで早川書房のSFマガジンが大量に置いてありました。
そのSFマガジンを開くと、中にはビリー・ジョエルのコンサートの半券が挟まっていたりして、部屋を見回してみたらやっぱりビリー・ジョエルのレコードが飾ってありました。
積まれていたそれらの本が、まるで1人の人間の歴史を体現しているかのように思えて、なんだか感慨深い気持ちになったのを覚えています。
そしてそうやって誰かの人生をつくった本が、色んな巡り合わせを経て他の人の手に渡る。古本のそういった部分に惹かれているのかもしれません。
『水中書店』という店名の由来を教えてください。
実を言うと、あまり明確な意味をもって名付けたわけではなかったんです。
本屋をやっている先輩から「お年寄りには漢字の店名が好まれるそうだ」という話を聞いたことや、わたし自身が「小さい子にも親しまれるような簡単な名前がいいな」と思っていたことをふまえて、ぐるぐると考えた結果『水中書店』という名前に決めました。
でも屋号を決めてから、「水中」という言葉や状況が、素敵な表現として使われている本や映画に触れる機会があって。
「水中」の、地上とは時間の流れ方が異なり、たゆたうような感じを幻想的な表現として用いた作品もあれば、社会の喧騒から離れるというような意味合いを込めて使っていたものもありました。
そういった芸術作品に触れるにつれ、この本屋の雰囲気に合っているような気がしてきましたね。後付けですが「すごくいい名前だな」と思うようになりました。
お客さんはどういった方が多いですか。
基本的には三鷹で働いている方、三鷹にお住まいの方が多くご来店されますね。住宅街にあるということもあり、子育て中のお客さまも多い印象です。
あとは、お店のTwitterアカウントで紹介した、詩歌や俳句の本などを目当てに遠方から来てくれる方もいらっしゃいます。
お目当ての本を買いにいらっしゃった方も、三鷹で生活していてふらっと水中書店に立ち寄ってくださった方も、今まで読んだことがなかったような本に手を伸ばしてくれたら嬉しいなと思っています。
選書において意識していることについてお聞きしたいです。
新刊を置く書店は選書におけるイニシアティブが強いと思うのですが、古本屋は入ってくる本でいかに棚をつくるかという部分が大きいです。
まずは、その受け身の姿勢をどれだけ楽しめるかということを考えています。
基本的には「来るもの拒まず」のスタンスで、なるべく幅広い種類の書籍を置きたいと思っています。
加えて、古書組合に所属しているので、能動的に市場で仕入れることもあります。その際には詩歌や俳句、洋書などを意識して選んでいますね。
詩歌や俳句、洋書は今野さんご自身が読むのがお好きなのでしょうか。
詩歌・俳句に関しては、わたし自身の好みというよりは、店頭に並ぶ本の種類を幅広くしたいという考えが根底にある気がします。
洋書を仕入れているのは、語学を勉強して頑張って洋書を読もうとする人に対して、憧れやシンパシーのようなものを感じていることが、理由の1つかもしれません。
母語ではない言語で本を読むことって大変な作業だと思うんです。時間もエネルギーも使うし、効率が悪いとも捉えられるかもしれない。
でも、わたしはそういうちょっと遠回りをする人たちを応援したいし、お役に立ちたいという気持ちがあるんですよね。
わたし自身は最近洋書を読まなくなってしまったのですが、今年はチャレンジしたいと思っています。
受動的になりがちな古本屋の選書にも、今野さんのこだわりが反映されているのですね。
そうですね。市場で仕入れる際は、訪れた人へのわたしからのちょっとした働きかけを棚に加えられたらいいなと思っています。
受動的になる部分と能動的になる部分のバランスを取って、棚をつくることを意識していますね。
本を陳列する際に意識していることはありますか。
選書に関してはおおらかなことを言いましたが、本の並べ方はかなり考えていて。一緒に働いている方は、すごく大変だろうなと思うんですけれど…(笑)
わたしは、本は置かれている場所によって、その性質が変わるのではないかなと思うんです。
例えば、同じ本であっても、ある本屋さんで見つけたときは気にならなかったけれど、別のお店で見つけたときには手が伸びるということがあるじゃないですか。
本の性質はほかの本との関係で常に変化していくという考え方に基づいて、日々試行錯誤しながら、常に色々な配置を試していますね。
この先「こんな本を置きたい」というようなものはありますか。
ある国の中に存在するマイナーな地域とか言語に対して興味があるので、そういうテーマの本を集めてみたいなと思っています。
たとえばカナダのケベック州についての本を集めてみたいという気持ちがあります。
カナダで唯一公用語がフランス語の州で、国内ではどちらかというとマイナーな環境にあります。
ケベック州では、さまざまな境遇を背景にもつマイノリティのひとびとが暮らしたり集まってきたりしたという流れもあり、その中で文化や芸術が発達してきた歴史もあるそうです。
ケベック州に限りませんが、本を通してこういった少数派の歴史や文化を知ることは大事だと思いますし、本屋として積極的に並べたい本だなと思います。
最後に、大学生におすすめの一冊をご紹介いただけますか。
『コルシア書店の仲間たち』です。
随筆家でありイタリア文学の翻訳家でもある須賀敦子さんが、学生時代のイタリア留学について綴ったエッセイ集です。
決して平坦ではなかった留学生活を振り返って書かれているのですが、そこでの体験に対して、達成感などのポジティブな感情と後悔などのネガティブな感情が、複雑に絡み合って向けられています。
でもそのように混ざり合った感情を、不器用ながらも肯定しようとするような、前向きな姿勢が感じられる一冊です。
わたしは20代半ばに、この本を読みました。
当時はまだ、10代後半から20代になりたての頃の記憶が自分の中に生々しく残っていた時期です。
嬉しかったことや楽しかったことだけではなく、人間関係でうまくいかなかったことや、挑戦したけれど失敗したことなどを思い出して、読みながら色々な感情が渦巻いていました。
この本は、過去に対して向けられた混沌とした感情と一緒に生きていく方法を教えてくれたような気がします。 ぜひ、学生のうちに読んでみてほしいです。