自分を日常から切り離して、全く別の人生を生きてみたいと思ったことはあるだろうか。はたしてそれはただの現実逃避なのか。
私にとっての居場所は、必ずしも日常にあるべきなのか。
日常では叶わない私、見せられない私、柄に合わない私自身を肯定できる非日常の世界をきっと誰もが心に秘めているはずである。
私たちは自分自身を創り変えていくことができる創作物なのだから、その可能性は無限大で、私たちはどんな風にでも新しい非日常的な私を創り出すことができる。
今回お話を伺ったのは、コスプレイヤーとしてSNSを中心に注目を浴びている高嶺ヒナさんだ。現在ではコスプレだけにとどまらず、モデルやアパレルの活動も積極的に行っている。コスプレという自分自身の創作を通して、日常とは全く別の高嶺ヒナとしての人生を同時に生きる彼女は、非日常にある“もう一人の自分”をどのように捉え、どのように高嶺ヒナと向き合っているのだろうか。
高嶺ヒナ
神戸出身のコスプレイヤー・モデル・デザイナー。コスプレイヤーとして活動をする傍ら、芸術大学卒業後にはIT企業への就職を決意する。大学在学中には自身のアパレル「HIDOLATRAL THEODOL」の開設、初のフォトブック「Lalka 偶像少女 HINA TAKANE PHOTOBOOK」の発売など、活動は多岐に渡っている。2022年1月には、NHKのドキュメンタリー番組「Zの選択」に出演。2023年3月をもって会社を退職し、現在ではコスプレやアパレル、モデル・アイドルプロデュースなどの活動を精力的に行っており、ますます注目を集めている。
―コスプレイヤーになろうと思ったきっかけはなんですか。
中学一年生ぐらいのときからボーカロイドがずっと好きで、当時初音ミクのコスプレをしたのが根本的なきっかけではあったんですが、正直最初からコスプレイヤーになろうと思ってコスプレをしていたわけではなくて。元々イラストを描いたりドールの写真を撮ったりするのが好きで、イラストや写真をあげるためにXを始めたのですが、たまにXで自撮りをあげると反応がよかったので、自撮りの延長で次第にコスプレイヤーとしての活動にも興味を持つようになりました。
―コスプレを始めた頃のご家族や周囲の人の反応はどうでしたか。
数少ない友人は理解してくれていました。でも家族には相当反対されましたね。コスプレを始める前からロリータファッションがずっと好きだったんですけど、ロリータファッションを家族から白い目で見られていた部分があって、コスプレともなるとさらに嫌がられていたように思います。なのでばれないように、どうにかごまかしながらコスプレ撮影に行ってました。ばれるたびに衣装を捨てられることもありました。カラコンに関しては同じものを四回ぐらい買っていましたね。
―小さい頃からの絵やコスプレといった行為が、今のコスプレやアパレルの活動に繋がっているのでしょうか。
もちろんそうですね。僕のことを昔から知っている友達には「根本の部分はわりかし何も変わっていないね」って言われることが多くて。昔描いていたイラストもゴシックとかロリータ系のお人形っぽいものが多いので、それが今のコスプレやアパレルのコンセプトに繋がっている部分があるんじゃないかと思います。自分の中の理想がかなり明確にずっと決まっていて、今でもゴシック、ロリータなどお人形っぽいものが好きですし、憧れている部分がありますね。
―コスプレという行為も、絵と同様に創作行為の一つだと考えているのですか。
そうですね。コスプレは、自分を使った究極の創作だと思っています。レタッチやメイクも全部含めて一つの創作という感じがします。美容整形についてもそう思っていて。整形に対して誰かが何か言うのも自由だと思いますが、自分にとっては、整形は自分を理想に作り変えるための手段の一つという感じです。
―コスプレを始めてから、自分自身や周囲に変化はありましたか。
きっとあるんでしょうけど、徐々に変化しているので、自分自身で明確な変化を自覚できてはいないです。ですが昔より自分の表現したいことが表現しやすくなったと思います。自分の容姿が理想に近づいたというのもありますし、なにより多様性を肯定する世論の浸透の影響も大きいです。昔に比べてコスプレやロリータファッションが一つのジャンルとして認められるようになったんじゃないかなと思っています。自分も周囲もそれぞれに対する理解が進んで、生きやすくなったように感じます。
―ご自身は周りからの評価を大切にされていますか。
僕は他人の評価を気にしすぎて自分のやりたいことができなくなるというタイプではないので、自分の発信したいものを淡々と発信しているという感じです。他者に認められなかったから悪い作品、バズったから良い作品、というのではなく、僕が作品を公開した時点で、少なくとも自分では納得できるクオリティの物であると感じています。とはいえ、自分が発表した創作物を評価するオーディエンスがいて初めて、一つの作品として完成するのだという思想を持っています。自分自身の知識不足で意見を頂くこともあるので、アンチからの個人攻撃でない限りは、頂いた意見は真摯に受け止めて、自分の次の活動に生かしています。個人でコスプレを発信してはいますけど、意見を頂くことで、僕のコスプレが他の人からの意見も含めた一つの作品になっていくし、高嶺ヒナも学習していく。コスプレというのは、自分だけでは埋めきれない部分、確認不足になってしまう部分を誰かに埋めてもらうことで成長していくコンテンツだと思います。
―コスプレをする中で大切にしていることはありますか。
キャラクターのコスプレだと、キャラクターのイメージを壊さないように、そのキャラクターがしなさそうなポーズや表情はしないように気をつけています。あとは、メイクやレタッチも、キャラクターに似せられるようにこだわっています。それから、好きだけど自分と外見がかけ離れているキャラクターのコスプレはしないようにしています。自分が好きになったキャラクターの中で、自分が似合いそうなキャラクターのコスプレをするというのは一種のキャラクターへの愛なのかな、と考えています。バズりたいがゆえに、原作のキャラクターがしないような服装や表情をしているコスプレイヤーに対しては、自分とは違う価値観の持ち主だなあと思います。もちろんそういった価値観を否定するわけではないですけどね。コスプレは良くも悪くも自己満足の世界なんですが、その中でも僕はキャラクターの本来の姿と自分の表現が一致しないようなコスプレはしないということをポリシーとして持っています。
―コスプレを始めてから、アイドルのプロデュースやアパレルブランドの立ち上げも手掛けられて、さらに活躍の場を広げていると思うのですが、コスプレ以外の活動に踏み入ったきっかけはありますか。
僕はファッションとかアイドルが全体的に好きで、小学生のときはAKBのまゆゆのオタクをしていて、ランダムにメンバーが出るカードの中からまゆゆのカードを引き当てるためにお年玉を崩してカードをまとめて購入したこともありました。ファッションの方は、ずっと昔からお人形っぽいファッションが一貫して好きで。アイドルにしろファッションにしろ、偶像っぽいものに昔から惹かれています。嘘を含んでいてもいいから、綺麗なものに塗り固められた、非現実的な、理想形の人間がこの世に存在しているという事実が嬉しいというか、そういう偶像に憧れを持っているように思います。コスプレにしても、アイドルの衣装やファッションのプロデュースにしても、自分の憧れのものを具現化したいという思いに突き動かされている気がします。
―小さい頃からイラストを描いたり、コスプレをしたり、アイドルを推したりと非現実的なものを生み出したり、非現実的なものに触れたりする行為に親しんできたと思うのですが、その動機としては、普段の生活からの逃避、という意識があったのでしょうか。
どうなんでしょうね。単純に、僕の好きなものは、僕が生きている日常にはなくて、非日常の中にあった、ということのような気がします。あと物心ついたときから、物語を作ったり空想したりするのが好きで、絵を描くという創作活動を始めて、次第に服飾やキャラデザインにもこだわるようになって、そういうものの延長線上に高嶺ヒナというキャラクターができたという感じです。もしかすると一種の逃避行動なのかもしれませんけど、わからないです。
―コスプレ活動をする一方で大学を卒業され、就職もされたと伺いました。
そうですね。最低でも一年は社会経験を積んで、ある程度ものごとの良し悪しを自分で判断できるようになってから進路を考えようと思っていたので、IT企業に就職しインフラエンジニアをしていました。ですが一年働いてアパレルの活動に注力したいと思うようになったので2023年の三月末で退職しました。
―コスプレイヤー一本でやっていくという道もあった中で就職を決意したのはなぜですか。
今は一つの通過点としてコスプレやモデル、アパレルの活動をしていますが、長い目で見たときに、今後プロデューサー側の立場に回ることがもっと増えるんじゃないかと思っていて。そう考えたとき、指示する側の立場しか分からないと経営をうまく回せないだろうし、物事が偏って見えちゃうと思ったんです。広い視野を得るために色々な立場を知りたかったという部分が大きいですね。あとはシンプルにコスプレイヤーとしての活動がうまくいかなくなったときのための保険が欲しくて。IT企業に在籍しているときに資格をいくつか取ったんですが、そういった資格を持っていたり、民間企業で働いていた実績があったりすれば、再就職しやすいと思って一旦就職しました。僕は、保険があるというのは、精神的な安定を得るためにとても重要なことだと考えています。保険がなくて一つのものにしかすがれない状態だと、その一つがなくなったら生きていけないから、切羽詰まって自分がやりたくないことまでやってしまったり、決断を誤ってしまったりすると思うんです。でも保険があることで心に余裕をもって活動できます。コスプレが人生の主軸になっていることは間違いないですが、気持ちを分散させて色んな軸を持っているからこそ、僕が理想とする‘‘高嶺ヒナ’’という偶像を生きられるのだと思います。
―色んな軸を持って生きてきた中でよかったことはありますか。
会社にいた頃は二人分の人生を生きているみたいで、それを楽しんでいる部分がありました。僕自身が美術大学出身で、IT分野に造詣が深くなくて、勉強が得意なタイプでもなかったので大変な部分もありましたが、職場で与えられた達成目標に向かって周りの人と切磋琢磨していけるというのは、僕が高嶺ヒナとして個人で活動する中ではあまり味わえない経験だったので新鮮でした。中学生くらいの頃は集団生活が嫌で嫌でたまらなかったのですが、高嶺ヒナを主軸としていると、同期と一緒に食事に行くなど、性格も能力も違う人達と一緒に何か同じことをするという経験が新鮮に思えて、集団生活も楽しいかもしれないぞと気付きましたね。会社員としての自分と、高嶺ヒナという偶像、両者が揃うことで初めて芽生えた感情だと思います。また、社会人になってからの人脈は高嶺ヒナとして知り合う人がほとんどなんですが、高嶺ヒナでない自分として知り合う、自分とは価値観の違う友達の存在が面白いし、自分の刺激にもなって、貴重な存在だなあと思っています。もちろん、上司に怒られて、なんで自分はできないんだろうと悩んで、苦労した時期もありました。でも総合的に見ていい経験になったと思います。例えば、一人だったら資格を取ろうとは絶対に思わなかったはずですが、資格を取るために勉強して、取れたことが自信に繋がりましたね。会社員としての自分と高嶺ヒナとしての自分、片方の活動がもう片方を支えながら活動していた部分は大きかったですね。
―創作物のアイデアはどこから湧いてくるのですか。
母が熱心に勧めてくれたこともあって、昔から読書が好きだったんです。図書館で一回の上限の二十冊まで借りて、たくさん読んでいましたね。読書を読み進めていく中で、お気に入りの世界観や設定、キャラクターに出会うことができたら、そのシリーズを繰り返し読んだりもしました。なんなら一人で、気に入ったキャラクターの二次創作をすることもよくありました。そういうことを重ねる中で、自分の好きなものがどんどん出てきて、自分が作る創作物の土台になっていったと思います。
―今後、コスプレイヤーとしてのご自身の姿や活動方法は、他の人からフィードバックを貰う中で変化していくのでしょうか。
根本として、偶像的な高嶺ヒナが自分の理想であり続けるという部分は恐らく変わらず、ずっと好きだと思います。けれど自分の考え方は変わっていく、成長していくと思うし、世論と一緒で自分の考え方も変わっていくべきだと思います。自分のポリシーを持ちつつ、変化する世論に柔軟に対応できる人間が、社会で生き残っていくのだと思います。
―高嶺さんが思うコスプレイヤーの魅力はなんですか。
やっぱり誰でも自分のなりたいものになれるところだと思います。コスプレは色んな人間になりたいという欲望を満たしてくれるツールなんです。メイクとかもそうですけど、見た目が変わると気分が変わるという話を聞くじゃないですか。コスプレはメイクの究極版のようなもので、全然違う見た目の人物になりきれるので、心なしか性格まで普段の自分とは変わったように感じます。僕の中で、コスプレは日常の自分との違いを楽しめる趣味という認識があります。
―もう一つの自分になれるんですね。
そうです。僕は既存のキャラクターのコスプレもやりますけど、高嶺ヒナも一つの僕の理想のキャラクターで、それになりきって楽しんでいる部分があります。高嶺ヒナが見せてくれる可能性を自分は信じたい。自分が広げた人間関係と高嶺ヒナが広げた人間関係は全然違って、人生一回で二人の人間を生きているみたいで楽しいです。
―今後の高嶺さんの目標を教えてください。
高嶺ヒナが末長く生き残って欲しいですね。目標というよりかは、願望に近いですかね。長くと言っても、もうこれは納得できるクオリティじゃなくなってきたとか、自分の中でもうこれは違うなとか、そういう思いが湧きあがり始めたらもう潮時だなと見切りをつけてスパッと引退しそうな気がするんですけど。でも今は、こうやって作り上げてきた高嶺ヒナがこの先どうなるかが自分でも分からないから、じわじわと知名度が上がっていって、高嶺ヒナでないと経験できなかったような非日常に出会えたら、今でも楽しい人生がもっと楽しくなるんだろうなと思います。自分にできそうなことであれば、ジャンルを問わずチャレンジしていきたいですね。今までは高嶺ヒナという人間やアイドルプロデュースなどの「人間」を通して世界観を発信していましたが、今後はスタジオのプロデュースなど、‘‘高嶺ヒナ’’のやりたいデザインを人間だけでなく空間で表現していきたい、という気持ちもあります。
―日常生活がうまくいかなかったり、日常の自分とは違うもう一人の自分を求めたりしている人に対して、何かメッセージがあれば教えてください。
日常生活は辛いけど自分には別の楽しみがある、とか、日常の私は不甲斐ないけど別の世界線の私はかっこいい、とか、そういうマインドを持って、日常と非日常の間で上手くバランスを取りながら生きられると、少しは楽な気持ちになれるのかな、と思います。人間適材適所と言いますし、決して今だめだからといって悲観する必要はないと僕は思いますね。さっきも言ったとおり、やっぱり自分を分散させることって自分を安定させるためにものすごく大事だと思っていて。たとえば僕が会社にいた時も、「これは自分だけの力じゃ厳しい」って思ったとき、周りの人に責任を分散させることをすごく意識していたんです。それは一人ですべて背負うことが責任なのではなく、自分一人では解決できないと感じたことを、自分より経験豊富な方にエスカレーションすることも含めて全て自分の責任だと思っていたからです。それって僕にとって日常生活でも同じなんですよ。日常の自分だけではどうしてもキャパオーバーしてしまうから、どんな形であれ日常とは離れた場所にあるもう一人の自分を見つけて、うまく分散させながら生きるべきだと思っています。