我々人間の中で木に心を寄せる人は少ない。木は動くこともなければ私たちに何か話しかけたりすることもないのが主な理由であるだろう。我々の多くは木を物質としてしか見ていないのだ。それはごく普通の考えかもしれない。しかし、樹木医である塚本こなみさんは木と接する際、木の持つ神秘性を尊重すると同時に木の立場に立ち、感情や心を見出しているという。今回はそんな樹木に対して精神性を見出している彼女に、木への向き合い方、そしてその根底にある考えについてお話を伺った。「樹木に映し出される精神性」という新しい角度で我々にとっては無機的に映る樹木を今一度捉え直してみよう。
塚本こなみ 一九四九年、静岡県生まれ。一九九二年に女性で初めて樹木医資格を取得。一九九六年には「あしかがフラワーパーク」(栃木県足利市)の樹齢百三〇年の大藤を移植するという前人未到の快挙を成し遂げた。現在は「はままつフラワーパーク」(静岡県浜松市)の理事長を務めるかたわら、樹木医として日本各地で樹木の移植や診断治療にも携わっている。NHKテレビジョン「プロフェッショナル仕事の流儀」をはじめとする数多くのテレビ番組の出演経験もある。
ー樹木医とはどのような仕事なんですか。
木は生まれて、成長し、そして枯れるものであり、動物同様に命があります。樹木が元気で長生きするようにお手伝いすることが我々樹木医の仕事です。
ー樹木医になるための資格はあるのでしょうか。
あります。私が受験した当時は一次試験が論文で、二次試験が十四日間の研修と試験でした。つくばの研修所に缶詰になって講義と試験を受けましたね。最後に面接があって、合格すれば無事に認定通知書をもらえる感じです。
ー樹木医になろうと思ったのはいつでしょうか。
実を言うと、もともとは志してはいませんでした。林野庁(註一)が平成三年度に樹木医認定制度という試験制度を作るという発表があり、受験の条件も満たしていて周りの人たちの勧めもあったので受験しようと思ったんです。そして無事に合格することができました。
ーもともと樹木に関心があったんですか。
夫が造園業を営んでいて仕事を手伝っていたんです。三十五歳の時に夫とは別の造園会社を作って、緑化工事をやったり、樹齢千年の木を移植するという仕事など色々やっていたので木と身近な存在ではありましたね。
ー樹木医として活動をするなかで最も印象的だった仕事について教えてください。
栃木県足利市にあるあしかがフラワーパークの樹齢百三〇年の大藤の移植を担当したことです。このフラワーパークは今や日本で最も有名で世界中からお客様が来て下さいます。そこにある大藤の移植を他の人に依頼してもみな難しいという理由で断られていたそうです。最後に私が引き受けたのです。一億円の予算をかけた大規模なプロジェクトで、二年かけてその移植を成功させました。幹回りが三メートル以上、直径一メートルもあるような大藤を四本動かしました。その成功によって今、皆様に美しい藤の花をご覧いただくことができました。もう一つ、忘れられないのが一度だけ大きく失敗してしまった事例です。ただ、それが私にとって一番の経験、学びになりました。
ーどのような失敗だったのでしょうか
日本道路公団(註二)が高速道路を計画していた地にあった樹齢四〇〇年の五葉松を移植してほしいという依頼でした。二年、三年かけて準備をしてその木を運ぶことができました。移植が完了した数日後持ち主が亡くなってしまったのですが、この方は亡くなる前、移植が完了してよかった、本当に安心した、と喜んでくれたので、私もほっとしました。しかし移植が終わって二年経って突然一枝、二枝と枯れ始めて、一ヶ月もしないうちに真っ赤になって枯れてしまった。マツノザイセンチュウ(註三)があっという間に増えてしまったんですよ。その対策として薬剤散布を事前にしていましたが、万が一に備えず通常通りの管理だけで済ませてしまったことが、枯れてしまった原因でした。依頼者のご家族の方たちも含めとても大切にしていた木だったので、とても申し訳ないと今でも感じています。私は自分のやる行為は、木が生き延びるためのほんの少しの手助けをしてるだけなので、自分がすごいとは思ったことがありませんでした。また木の治療において自分の能力、知識、経験以上のことはできず、私自身が一〇〇パーセント木のメカニズムや、その個性全てを知り尽くしてるわけではないということを十分知っているので、うぬぼれていないと思っていました。でもこの木が枯れたのを見て、 私はひょっとしたら、うぬぼれていたかもしれないと感じました。私は女性樹木医第一号と言われ、メディアにもマスメディアにも多く取り上げられて、目に見えないうちに天狗になってしまっていたと気がつきました。もっと深く観察をして、木と話をしながら、 あなたは何をしてほしいのかっていうことを推察し、手当てをしなければいけなかった。私の樹木医活動の中では、この木が一番私の学びですね。だから、この教訓は一生忘れてはいけないし、 目の前に依頼された木と真摯に向き合うという姿勢をいただきましたね。
ー樹木医として経験を積んだ今、どのように木と向き合っていますか。
木の立場になって考えるようにしています。私たちと同じように木にも心があり、感情がある。例えば桜はもう花が咲く時期だよって誰も教えられないのにちゃんと芽が出てきますよね。今私こういう状態だから、 見つけてほしいよ、気づいてほしいよって木は発信してる。それに気づいてあげて何をしてほしいのか推測してあげる。そのように向き合っています。
ー科学的には、木には脳や神経がないと考えられます。それでも木に対して心や感情を見出すというのは、どのようなことなのでしょうか。
私は木に対して自分自身の見方次第で心や感情を感じることができると考えています。たとえ親友であろうと自分の感情を受け入れてくれない時があるかもしれませんが、木はもの言わず動かずで絶対文句は言わない、どんな感情でも受け入れてくれます。全てを受け入れてくれる愛を私は木に感じるんです。十五年前くらいにNHKの『課外授業ようこそ先輩』というテレビ番組に出演しました。その時、小学校六年生の子どもたちに、「校庭の中から自分の木を決めて一ヶ月間その木と何を喋ったか毎日日記に書こう」という宿題を出したんです。みな一週目も二週目も、木と会話をするのは難しいようでした。しかし三、四週間目に日記帳を見に行くと、木と話ができた子が何人か現れたんです。
ーその会話を通して子どもたちが得られたものはあったのでしょうか。
今でも覚えている印象的な子がふたりいるんです。ひとりはとても無口な女の子で先生や友だちとも口を聞かなかったそうです。彼女は自分の木としてナンキンハゼを選びました。私がナンキンハゼについて説明しても、「ふーん」としか答えなかったり、なぜその木を選んだのかについて聞いても一切話してくれなかったんです。でも彼女は先生からのお礼の手紙で知りましたが授業のあとからしゃべってくれるようになったみたいなんですよ。木との対話を通して、彼女のなかで何かが変わったのだと思います。木が彼女にとって心の拠り所になったんですね。もうひとりは乱暴な男の子。彼はときどき机をひっくり返したり、友だちに手を出したりしていたそうです。でも、この子も番組の収録中に大きく変わって、収録が終わったあともずっと穏やかに過ごしていると聞きました。この子は自分の木として、キンカンを選んだのですが、その理由を聞くと「おばあちゃんの家にある木で、僕が風邪をひいたときおばあちゃんがその実を甘く煮て食べさせてくれたから。」と答えてくれました。その木を見てると自分の大好きなおばあちゃんとの思い出が蘇ってきて、心が穏やかになったのでしょう。その木との会話が成立してたんですよね。つまりその木がおばあちゃんだったんですよ。私は、最初テレビ番組を作るための授業にしかならないかもしれないという不安がありましたが、子どもたちの日記、そして先生のお手紙を見て、本物の授業になることが少しはできたんだと思いました。私は皆さんにこの経験から、教育関係で講演させていただくときには、ぜひ嫌なこと、人に言えないことについて自分の木を見つけて、その木と話をしてみてくださいと言っています。私もマイツリーを持っていて、お正月に会いに行っているんですよ。この話をすると、 他の人は人が樹木を擬人化してるって言うかもしれない。でも、彼らの変化を見ると、ただの擬人化という言葉で片付くものではないなと私は思っているんです。
ー擬人化という言葉で済ませたくないという考えについてもう少し詳しく教えてください。
樹齢何百年、何千年の木を見たことはありますか。幹回りが十メートル、高さが五十メートルもあるような木です。その時、先ほども言ったように文句を言わずに全てを受け入れる愛みたいなものを感じませんか。木は人がチェーンソーを持ってきても文句を言わずに切られるわけですよね。炭や柱になるわけです。文句を言わないから感情がないとは私には思えません。じゃああえてお聞きしますけど、なぜ日本には御神木っていうのがあるのでしょうか。神社仏閣に行ったりすると、しめ飾りをして手を合わせる御神木っていう文化があります。私たちが樹木、植物から守られてるということを知ってるから、このような文化が生まれたのではないでしょうか。もっと根本的な話をすると、命の誕生の形は、実は植物、魚、人間全て一緒なんです。中学校の理科で習ったと思いますが、海藻から始まり、すべての命が生まれてきました。そしてものすごい年月をかけて進化をして様々な生命体・人間になるわけです。だから元は一緒なんですよ。樹木医になってみて、植物が発芽する時の姿を知り、人間と同じだと思うようになったんですね。自然界の中で人間だけ偉そうにしてはいけないと思うんです。
ー現代の人の多くは木をただの物質と見なし、木に感情を見出す、という行為は難しく感じると思います。そのことについてはどうお考えですか。
昔は神社仏閣とか地域の大きな木には神様が住んでるからおじいちゃんおばあちゃんが木を大事にしろと言ったりして、木との付き合い方を年寄りが教えてたんですよ。また、昔はマンションなどがなくてみんな一軒家に住んでいてそこに木があったので木は身近な存在でした。今はそういうのがなく自然と遠のいていますよね。自然と離れても、便利で快適なマンションで生活していれば幸せなのか、それはわかりません。でも、私としてはやはり幼少期から木や自然と触れ合ってほしいと願っています。
(註一)森林の保続培養、林産物の安定供給の確保、林業の発展、林業者の福祉の増進及び国有林野事業の適切な運営を図ることを任務とする農林水産省の外局。
(註二)かつて日本に存在した、主として日本の高速道路・有料道路(高速自動車国道及びバイパス道路)の建設、管理を行っていた特殊法人。民営化によって二〇〇五年に解散した。
(註三)寄生虫の一種。日本では、アカマツ・クロマツなどに寄生し、感受性のマツに松枯れを引き起こす。