「社会問題に興味はある、でもその解決ができるのは政治家などの選ばれた人だけで、自分にできることは何も無い・・・」
そう考えている人は少なくないのではないか。現在早稲田の院生である神尾俊宏さんは、学部生時代に「国際和解映画祭」通称ERIFFを立ち上げて、自分の関心のある社会問題に取り組んだ。神尾さんはなぜアクションを起こし、どのようにして形にしていったのか。ERIFFのはじまりやそれに伴う苦難、やりがいを伺った。
ERIFFとは
――ERIFFについて簡単に教えてください。
ERIFFは、映画祭の名称であり、主催する学生団体の名称でもあります。
ERIFFというのは、「国際和解映画祭」の英語略称です。この映画祭は、和解をテーマにして、学生主体で運営されています。日中韓の若手クリエーターから、和解をテーマに映像や脚本を募集して、それを映画祭形式でお見せするというイベントです。
日中韓というのは、歴史的に対立を抱えています。それに対して、学生交流やビジネスコンテストなど、いろんなアプローチがされているのですが、私たちは直接的に歴史問題について話し合うきっかけをつくりたいと思いました。
映画をみんなで見て、「この映画はこういうところが良かったね。」から始まって、いろいろ語り合うかもしれない。そういう映画祭を目指しています。
――対話の機会をERIFFで意識的に設けることはありましたか。
いろんな人が映画を通して話し合えるような機会は意識的に作りました。
いい映画祭では、映画を見て、監督さんがそこで話し合ったりとか、作品の見どころやねらいを監督に聞くインタビューが壇上で行われたりすることが結構あります。
ERIFFでは、映画クリエーターの方だけじゃなくて私たちスタッフが和解に絡めた話をしてみたり、あとは学者さんを呼んだりしました。去年なら『ホタル』という映画を招待上映したんですけど、アフタートークの時間には学者の方に来ていただきました。アカデミアと芸術の融合みたいなところも意識的にやっていましたね。
――映画祭のゴールは国民同士の和解とあったのですが、国民同士の和解をどういうものだと考えていますか。
あくまでも自分の考えですが、国民ってわざわざ使っているのには、理由があります。
僕たちは自分の気持ちというのをもっています。また、それとは別に、「日本人だったらこう思っていなきゃいけない」とか、「こういうのが当たり前だ」という日本人としての考えも持っています。それは日本だけじゃなくて、中国や韓国など他の国でもあると思っています。
それで、その考え方が国民としての感情に由来するものであることには意外と気づかないんですよね。そのことを自覚するには、日本人以外の人と関わることしかないと思うんですよ。あとそうですね、逆に「韓国の人はこう思っているだろう」といった思い込みが意外と間違っていることもあります。
対話を通して、まず自分たちがこう思いがちになっていることに意識的になって、相手の考えに対する思い込みから生まれる誤解を解く。自分個人としての気持ちを大切にする。それが、お互いに分かり合うことの第一歩なのかなと思います。
ERIFFのはじまり
――ERIFFを立ち上げたきっかけを教えてください。
文喜相韓国国会議長の早稲田での講演を聞く機会があったんです。そのときちょうど徴用工問題が深刻になっていていたんですね。その文喜相さんは、日韓の問題に対して新しいアプローチを試みている方だったんですけど、その方の講演を聞いて、もともと学問的な興味もあったので、この問題に取り組みたいと思いました。
その講演会を主催されていた方が、浅野豊美先生という早稲田の政治経済学部の先生で、ちょうど和解学という新しい学問を発展させようとしていたんですね。その方に声をかけたところ、和解学を広めるための、学生主体の新しいイベントについての構想を聞かせていただきました。
ちょうどそのとき、和解学会の和解学研究所のなかに、放送作家の方とか、映像関係に繋がりがある先生がいらして、一緒に映画祭をやることになりました。先生方とも協力しながら後から学生サークルみたいな感じで、学生主体になっていきました。
――学生団体の設立は、神尾さんが主体となって始めたのですか。
Instagramのストーリーとかで、「学生主体の映画祭やるんで、一緒にやる人いませんか」と。あとオンライン授業に潜り込んで、「ちょっとすいません、先生、自分のやっている活動について説明させてもらってもいいですか」って。そこから来てくれた子と私の友人の、5人で始まりました。ちょうどコロナの感染が広まり始めていたので、大っぴらに宣伝することもできなかったですね。
――もともと学問的な興味があるとおっしゃっていましたが、東アジアに興味をもったきっかけはなんですか。
6歳までなのでそんなに記憶はないんですけど、もともとアメリカに住んでいて。バーモント州という、ニューヨークの隣にある、人間よりも牛の方が多いみたいな、ほんとに小さい州です。その当時一番の友達というか、親友だったのが韓国人の女の子です。アメリカ人の中でもアジア系がうちの家族と彼女の家族だけで、すごく仲良くなりました。
でも、日本に帰ってきて、去年まで住んでいたアメリカという国と日本は昔戦争していたとか、実は韓国と日本って仲悪いとか、そういうことを知って、結構ショックを受けました。
そういった経験から、日韓をはじめとする国の関係の改善に、なにか自分も貢献したいと考えるようになったと思います。中国は父が仕事の関係で行っていたんで、ちょっと親近感がありますね。
――ではERIFFを立ち上げる前に、東アジアに関連する活動をしたことはありますか。
はい、大学1年の時にOVAL JAPANという団体に入っていました。それは日中韓の学生が協働して、学生の国際ビジネスコンテストをやろうという結構壮大な構想をもつ団体なんですよ。清華大学、ソウル大学、高麗大学や、延世大学の人たちとかと一緒に活動して、年に1回どこかの都市で会うんです。2018年夏が日本だったら、次の冬はソウルで、その次の夏は北京でやって、みたいな感じで活動していました。
OVAL JAPANの活動には、政治的な問題は難しいから、お互いにプラスになれるビジネスというツールを通して仲良くなっていきましょう、という考えが根底にあるんですよ。
これはちょっと語弊があるかもしれないんですけれども、私はそこにもったいなさを感じたというか、そこで仲良くなった人たちとだから話せることがあったなと思っていました。実際、慰安婦問題とか、今の国同士の関係をどう思っているのかとかは、そこで仲良くなった人とだけはすごく話せたんですよ。
この経験が貴重だと感じたからこそ、仲良くなれた人としかこういう話ができないのってもったいないなと思って、それだったらもう1歩進めて、いろんな人とこういう話が出来ればいいと思いました。政治的な話、もしくは国同士のこれからの話を若者同士で話せる機会はすでに結構あって、ほかにもいろんなサークルがあるんですよね。
でも、日中韓に興味がなくても参加できるような、より広い社会的なムーブメントが起こるきっかけになるイベントが必要だと思いました。それなら芸術の人と合流したらいいんじゃないかと思ったのが、ERIFFに繋がっています。
――ERIFFのコンペティションは学生が審査に深く関わっていますよね。これは企画の段階から決めていたのですか。
最初は私自身にそのつもりは無かったんです。ERIFFにはプロの放送作家をはじめとする業界に精通している方も多く審査員として入っていただいています。そういった方から、「こういう学生主体の映画祭なら、より学生がいいなと思うものを入選させたい。それが映画祭の意義にも合う」という助言をいただいて、学生も審査に関わることになりました。
賞としても学生賞というのがあって、それは学生の審査員だけで選出する賞になっています。
――コンペティションには日本以外からも応募があって、応募作品の使用言語は日本語だけではありませんでしたよね。それらはどうやって審査しましたか。
私のいた当時は外国語をしゃべれる学生スタッフが多くて、国籍も5つあったんですよ。日本、韓国、中国、シンガポール、イギリス、と結構多様性があって、学生はそういうメンバーが主体でやってました。お呼びした審査員の方も、日本以外の国にルーツをもつ学者さんだったり、映像業界に精通していらっしゃる方だったりとかが中心になっていました。
――メンバーにはいろいろなルーツを持つ方がいらっしゃったとのことですが、その方々とはどうやってコンタクトを取りましたか。
イベントで来てくれる子や、あとは友だちの繋がりみたいな感じで来てくれる子もいました。基本的には日本で勉強している子たちなので、普通のサークルとあまり変わらないと思います。
よかったのは10もの大学からメンバーが集まったことです。北海道や京都から参加してくれる子もいて、大学も多様でしたね。ひとくちに韓国にルーツがあると言っても、ずっと韓国にいて早稲田に来ましたとか、ずっと日本にいましたとか、在日韓国人ですとか、日本との距離感にも多様性がありました。
ERIFF2021開催秘話
――コンペティションで苦労したことは何ですか。
技術上のことはもちろんなんですけれども、何を基準として選ぶのかが一番難しいし、それを決めるのにも膨大な時間を要しました。たとえば家族や親子の和解をテーマにした作品もあったけど、日中韓のことについて扱っていないと賞は与えられないみたいな意見も出てきて、とても悩みました。
基準が決まったあとも、受賞作品を選ぶのが結構大変でしたね。映画としてしっかり成り立っているかというのも難しかったですし、すべていい作品だったけれども、歴史を扱う作品にはとても頭を悩ませたというか、気を遣いましたね。
選ぶ前も選ぶ過程も、基準には、とても悩まされました。
――映画祭の準備では、どのようなことに苦労しましたか。
モデルケースがないから、まず何をするかを考えることに苦労しました。コンセプトづくりもなかなか時間がかかったんですけど、コンセプトを作り終わっても、じゃあ何しようか、となってしまった。2日間開催することになっているし。
タイムテーブルをなんの手がかりもないところから作るのがほんとに大変で、しかも開催は七月なのに、それを作り始めたのが三月だったんですよ。結局、今世に出ている作品をお借りした招待作品とコンペティションに出していただいた映像作品を流すことにプラスして、今後の活躍が期待される若手クリエーターの方の対談企画を開催しました。
さらに、わたしたちも受け身でいるだけじゃなくて、自分たちがやろうしていることを少しでも分かってもらえるように、映画を作ってみました。iPhoneで撮った安い映画ですが。でも、結局そうやって映画祭を作っていっても、応募してくれるとは限らないから、いやこれ大丈夫かなって思ってました。
――実際にはかなりの数の応募がありましたよね。
ありがたいことにそうですね。特に脚本部門は、脚本をを作るのが初めての方にも参加していただきました。そういう方にも参加していただきたかったので、たくさん応募していただいてうれしかったですね。
――実際に映画祭を運営するにあたって、苦労したことは何ですか。
本来なら海外から応募してくれた方を映画祭にお呼びしたかったんですけど、それが感染症の流行でできなくて。入場制限もきつくて、大隈講堂にある1100席のうち8分の1とかしか入れられなかった。ですが、緊急事態宣言が出るかどうか微妙な時期だったので、まず開催できたことが本当にうれしかったです。
あとは、この映画祭が取り扱う内容って、結構センシティブじゃないですか。だから、できるだけ語弊が生まれないようにしました。「これ宗教なの?」と言われたことがあって、たしかに、一歩踏み外すとそちらに行きかねない企画なんですよ。ちょっとイデオロギー色が強まるとやばいなと、そういう綱渡りみたいなところをずっと前に進んでいくようでした。実際、当日来るまではそういうのかと思ってちょっと怖かったというコメントをいただきました。
ただ、映画祭に来てみたら、もう学生たちが純粋に頑張っている。その姿を見て、メッセージを強く感じました、というお話もたくさんいただきました。私たちが情熱を持ってやっている姿を見て、メッセージが少しでも伝わったのかなと思って、すごくうれしかったです。
――ERIFFでの活動を通して、どのようなことにやりがいを感じましたか。
印象的だったのは、韓国語の脚本部門で優秀賞を取った韓国の高校三年生の女の子にビデオメッセージをいただいたことです。
そのときに、「わたしには日本人の友達もいて、こういう難しい話題を、今まで話したかったけど話せずにいました。日韓の将来をこういう形でよくしていこう、という映画祭のアイデアを思い浮かべてくれたこともうれしかったし、こういう状況の中で開催してくれたこともとてもうれしい。こういう映画祭で賞を頂けたこと自体本当に光栄に思います」というメッセージを送っていただいて、こういう方のために、映画祭を今まで運営してきたんだと感動しました。
あとは、ERIFFの活動を通してほんとにいい仲間に巡り合えた。
学生団体ってメンバーのやる気に依存したところがあるじゃないですか。でも、「これをやらなきゃ」という具体的な目標が目の前にないと人は結構やる気を出しづらい。ERIFFの場合は、「じゃあ、来年の7月に早稲田の大隈講堂で映画祭やります。」と言っても、何からやればいいか分かってない人が多いし、「宣伝しろと言っても、まだ材料もないのに宣伝できない」と言われたこともあります。そういった運営上の大変さがありました。
そんななかでずっと最後まで支えてくれたり、就活中でも助けてくれたりした仲間がいて。そういう、悪い言い方をすると、コスパみたいなものを度外視して、映画祭の理念と私の想いに共感して最後までやってくれたみんなは一生の仲間ですね。
――ERIFF2021は和解を考える場になったと思いますか。
なったとは言えないですね。自分たちは一年目としてはやれるだけのベストを尽くしたと思っていますけど、やれることはまだまだたくさん残っていると思います。
そしてなにより、この映画祭は続けることに意義があります。第二回の開催も決まっているんですけど、続けることによって少しずつ起こる変化があるし、深まる理解もあるし。結局この映画祭の使命は、ムーブメントを起こして、社会を変えていくことなんですよ。それを達成するためには、長く続けることが大事だと思っています。
ERIFFはこれから成長する映画祭です。まだ一回では終わらない。
明るい未来を作りたい
――社会問題に対して自分もアクションを起こしてみたいけれど、はじめの一歩が踏み出せない人は多いと思います。神尾さんが新しいことにチャレンジし続けられるのはなぜですか。
もう単純に言うと、私は結構バカなんですよ。先ほど踏み出せない方もいらっしゃると言っていたけど、私は逆に、何も考えずに足を出しちゃう。
映画祭をやっていたときも、周りは就活してるわけじゃないですか。ほんとにバカとしか言いようがない。動き始めるのが早すぎるというのは、今ついている教授さんに注意されています。「なんでも飛びつく。腰をすえて、勉強しろ」と。
でも結局私はずっと国際関係に関心があって、国際社会で何かしたいという気持ちがあるので、その気持ち一つでいろいろ行動をしていたと思いますね。だから、私がそれを推奨するのは気が引けますね。でも、飛びつくことからいろいろと始まることもあります。
――これまでの経験を活かして、今後やりたいことはありますか。
私は将来的には国連の職員になりたいです。ERIFFは、ただただ仲良しごっこをするんじゃなくて、未来を見据えて過去の出来事に対してしっかり向き合いながらも和解をしましょう、というコンセプトでやっていました。
二国間の歴史は、現在その国家がどういう未来を築いていきたいかによって、見え方が変わるというE.H.カーという学者による話があります。例えば今、日韓関係にいい未来って見えにくくても、明るい未来があるというふうに思えば、明るい過去がたくさん浮かんできます。そういう未来が見えてないから、過去の問題ばかりが見えてくるんですよね。
明るい未来を作れる一員になりたいんです。明るいビジョンを作れる人になりたい。ERIFFでの経験を通して、どうにかしてそういう未来が描けるんだと感じたんです。
第二回国際和解映画祭
10/2日曜日 11:00から
@大隈講堂 途中入退場自由
・招待作品「白磁の人」上映+トーク形式のアフター企画
・映像コンペティション入選作品8作品上映+監督インタビュー
・授賞式
前夜祭
10/1土曜日 14:00より入場開始、14:30より上映
・映画「マイスモールランド」
・監督川和田恵真・プロデューサー伴瀬萌早稲田OGトーク
両日とも入場無料
チケット予約、詳しい演目はホームページから
https://www.eriff.org