人と関わりを持つとき、その関係には名前がついてくる。
誰に強制されたわけでもないのに、私たちは関係性に名前を付けるという行為を当たり前のように行なっている。
しかし名前がつくことで、恋人や友だちの枠にとらわれて、その結果お互いの気持ちや欲求がないがしろになることがある。
漫画『煙たい話』は友人でも恋人でもない、名前のない関係の男性二人の同居を描いた作品である。
「関係性に名前を付ける」という当たり前から自由になって、名前のない関係を生きるというのはどういうことなのか。 『煙たい話』の作者である林史也さんにお話を伺った。
林史也:漫画家。読切『化石に星』にて商業デビュー。主な著作は『煙たい話』と『世襲制トライアングル』。
『煙たい話』は現在光文社総合漫画サイト「コミソル」にて連載中。本作は「次にくるマンガ大賞2022」にノミネートされた。
Twitter:@fuhit0be
『煙たい話』
高校卒業以来、一度も会うことのなかった武田と有田。
ある雨の日に一匹の猫を拾ったところから二人の関係は変わり始める。 恋愛感情とは違う。一緒に暮らす理由もない。でも、隣にいるのは心地がいい。
そんな気持ちに向き合い、二人が出した答えとは——。
自分たちだけの関係を模索しながら生きる人々の日々を綴った物語。
——漫画家になったきっかけはなんですか。
元々絵を描くのが好きで、昔から遊びで漫画を描いたりしていました。
大人になってからも趣味で短めの漫画を一人で描いていて、自費出版もしていました。
描きたいものが描けるのであれば同人作家のままでもよかったんですけど、だんだん長編を描いてみたくなってきて、誰かに手伝ってほしいなと思うようになりました。
それからいろいろと紆余曲折はあったのですが、今の担当編集さんに見つけていただいて、商業化できて今に至るという感じです。
——影響を受けた作品などはありますか。
漫画というよりは、小説や映画に影響を受けた部分が大きいですね。感情の描写がメインになっていて、人の内面が強く出ている作品が好きです。
そういった作品にすごく感銘を受けて、漫画でもそういうことができないかなと思いました。
——確かに林さんの漫画ではキャラクターの内面が強く出ていると感じます。ストーリーを決める時もそこを意識しているのですか。
そうですね。ストーリーより先にキャラクターがいて、彼らはどういう会話をしていくんだろうというところから始まることが多いです。
会話から始まって、その会話が行われる状況や場面が決まっていって、ストーリーが出来上がっていく感じです。
キャラクター個人個人の性格とか考え方とかを突き詰めていくと、彼らを動かしていく中で、この人とこの人がいたら、こういうことが起きるなっていう感覚があって。
それに対して「でも私はこうなってほしい」みたいなのをなるべく反映したくないというのがスタンスとしてあります。 ただ、物語の展開として描きたいなと思う場面や、ある程度決まっている事柄などもあるので、その余白を埋めていくようにストーリーを練るときもありますね。
——現在連載中の『煙たい話』について簡単に教えてください。
簡単に言うのがすごく難しい話なんですけど、それ自体がこの作品がどんな話であるかを表していると思います。
武田と有田という二人の男性が主人公で、二人はタイプが違うしあんまり接点がなさそうだけど、同居しています。
この二人はなんで同居しているのかな、どういう関係なのかなというのを漫画の主題にしつつ、その二人の周囲の人たちにもスポットを当てながら描いています。武田と有田を中心とした群像劇的なお話ですね。
——主人公の二人が、友人でも恋人でもない、特別だけどうまく言い表せない関係性であることが『煙たい話』の大きな特徴だと思います。なぜそういった関係の二人を描こうと思ったんですか。
最初の時点では、名前のない関係をテーマに描こうみたいなことはそんなに考えていたわけじゃなくて、最初に描きたいと思ったのは、シンプルに人間の関わり合いの話です。
考え方が異なる二人の人間のやりとりや、互いに向けあう感情について、私自身が一度ちゃんと考えてみたいと思ったのがきっかけでした。そこで、すでに考えてあった二人のキャラクターを使ってそれを描き始めました。
この二人がどういう関係なんだろうというのは私も分からずにとりあえず描いてみることにしたんです。そうしたら、恋人かそうじゃないのかがあんまり関係ない話になったんですよね。
そこで、「関係性を設定として決めちゃうのは違うかも」と思って、この二人の関係って一体何なんだろうというところを自分で考えていったら、話が広がっていきました。こういう話が描きたいなとか、こういう話に転じていきそうだなというふうに。
だから、「名前のない関係」っていうテーマは、もともとあったというよりは話を考えていく過程で後から出てきて、大きくなっていったという感じですね。
ただ今考えてみると、誰かと誰かの深い関わりを描く作品って、ラブストーリーになることが多いけど、別にそれ以外にもあるんじゃないの、とは元々感じてはいました。恋愛に特化したものが多いっていうのは、別に悪いことではなくて、ただ、そうじゃないものも増えたら素敵だなって思っていましたね。
——作中で、武田と有田の二人は名前のない関係のどんなところに良さを感じているんでしょうか。
二人にとってどんな良さがあるのかって言われたら難しいですね。関係性に名前を付けて言い切らないことで、相手のことがよく見えるようになるところはあると思います。
でも名前のない関係って、そういう良さがあるから選ぶものでもない気がするんです。武田と有田の関係も、手段としてそれを選んでいるというより、二人がお互いのことを尊重してちゃんと見ようとした結果としてそうなっているんだと思います。言ってしまえば消去法というか。
そもそも、『煙たい話』は、私が武田と有田に名前のない関係を物語の中で選ばせて、読者に名前のない関係を推奨しようという漫画ではないんです。私が二人に名前のない関係を選んでほしかったわけでもないし、二人も進んでそうなったわけでもない。たまたまそうなっている二人がいて、その人たちの話を描いているだけ、みたいな。
それに、あまりにも「名前のない関係」を意識しすぎると、結局そういう名前がついているのと同じことになってしまう気もするんですよね。
——関係性に名前がつくことを当たり前だと考える人は多いと思うんですが、その中で、必ずしもそうする必要はないんだなと思えるようになったのはなぜですか。
具体的な体験からそう思うようになったわけではないかもしれません。でも日常的に、なにかしらの特徴とか属性に基づいてグループ分けがされて、それに名称がつくことってあるじゃないですか。そういう名称に引っ張られて先入観を持ってしまうと、相手の中身が見えなくなるんじゃないかなと思う時がありました。
関係性についてもそうで、名前が実際のあり方に先行してしまうと、その定義に当てはまっていこうとすることってあると思うんです。
本来、世の中に全く同じ関係性は存在してなくて、関係性に正解って無いはずなのに、自分たちがこう名乗るんであれば、こうじゃなきゃおかしいんじゃないかなと思ってしまったりとか。
しかもそれって「普通は」とか「世間一般の」とかっていう材料からの判断になってしまいますよね。それを自分にも相手にも強制してしまったりとか、それによって自分自身の考えがよく分からなくなってしまったりとか、そういうのは苦しいんじゃないかな。
名前を付けないことは、それを回避する手段だと思います。人との関係性に名前を付けなくていいんだったら、その人がどんな人で、自分とどういう関わりを持っているのかをよく考えられるようになるんじゃないかと思います。そうすることで、相手を尊重することができるケースもあるのかもしれないですよね。
——言い切らないことで本質を見るというのは、史也さんが作品で描いていることにも、史也さん自身の創作姿勢にも現れていると思うのですが、そのような感覚はありますか。
そうかもしれませんね。正解や結論が絶対にあるという前提に立つと、そこで考えることをやめてしまう気がしています。今見えていることに対しても、「そういう一面もあるかもしれない」ぐらいの感覚で、自分なりの答えを探し続けていられると良いなと思っているので、『煙たい話』からそう感じ取っていただけるならとても嬉しいです。
——読者にとって、『煙たい話』はどのような存在であってほしいですか。
私は必ずしも問題提起をするために『煙たい話』を描いているわけではないんですけど、私の感覚が漏れ出ている部分はあるというか、先入観なしに、人のことを本質的に見られたらいいのになっていうのは作品全体を通して出していけたらいいなと思っています。
でもそれも含めて本当に全部描きたいように描いているので、読者の方にも自由に受け取ってほしいですね。
ただ、その辺にいる人たちのお話ぐらいの距離感になってくれたらいいなとは思っています。お話の中に出てくる人たちなので、もちろん私が作った人間ですし、現実ではないんですけど、なんかその辺にいるかも、みたいな感じで。ただそこにあるみたいな、存在していること自体に意味がある話であれればなと思います。
書籍情報
『煙たい話』単行本第1巻は『世襲制トライアングル』(KADOKAWA)上・下巻とともに好評発売中。