社会的少数者と言われるろう者。その世界に聴者が触れることは少ない。そのために、ドラマや映画などのメディアが描くろう者の姿を見て、彼らを理解した気になってしまうことがある。しかしその多くは聴者によって作られ、聴者によって演じられる。内容はどこか感動的で、聞こえないという障害を乗り越えていく主人公が描かれることがほとんどだ。メディアにイメージが形作られ、恐怖の対象としてばかり思い浮かべられる幽霊のように、ろう者たちもまた、実体とは違ったイメージを押し付けられていないだろうか。
ろう者の俳優として活動する那須英彰さんは、身体を使った巧みな表現と多彩な表情によって、幅広い役柄をこなしてきた。そんな那須さんに、メディアにおけるろう者の描かれ方、そして彼ら自身が表現することの意味についてお話を伺った。当事者として、現場を見てきた那須さんだからこそ、知っていることや考えていることがあるはずだ。
〈那須英彰〉
一九六七年三月、山形生まれ。二歳のときに全聾となる。日本ろう者劇団を経て俳優活動をしながら、全国各地で講演・一人芝居などの活動を行う。二〇〇六 年、カナダのトロント国際ろう映画祭で大賞・長編部門最 優秀賞受賞した映画『迂路』で主演を務める。また、一九九五年からニュースキャスターとして『NHK手話ニュース845』に出演中。その他にも手話やろう者の歴史などに関する講演活動を全国各地で行い、手話普及に携わる。著書に『手話が愛の扉をひらいた』、『伝記・藤本敏文』、『出会いの扉にありがとう』など。
ー現在の活動について教えてください。
たくさんあるんですが、主に会社員としてキヤノンマーケティングジャパングループの会社で三十年以上働いています。その傍ら、俳優として舞台に出演したり、一人芝居をしたりしています。他にも、週に一回、NHK手話ニュースのキャスターを担当しています。それから、全国各地や海外で手話に関する講演や芝居を行ったり、手話言語研究所(註一)の研究員として手話の普及のための活動に取り組んだりもしています。
ー生まれつき耳が聞こえなかったのですか。
両親からは二歳の頃に高熱によって失聴したと聞いています。その後、三歳から山形県立山形聾学校に通い、相手の唇を読んで言っていることを理解したり、口形を模倣して発声をしたりといった厳しい口話教育を受けていました。例えば、ま行の発声を「ま、み、む、め、も」というように、鼻を押さえながら一音ずつゆっくり声に出したり、鏡に映っている先生の口を見ながら発音の練習をしたりしていました。どんな発声をしているのか自分自身で確かめることはできないんですが、上手くできればご褒美としてお菓子がもらえたんです。今思えば人への教育ではなく、動物扱いをされているような教育でしたね。
ーそのように口話教育が重視された環境で、どのようにして日本手話を身につけたのでしょうか。
幼稚部のとき、ろう学校に通学するために乗っていたバスの中で、先輩たちが手話をしている様子を見て、とても魅力的な言葉だと思っていたんです。ろう学校では手話が禁止されていましたが、通学中の手話使用については特に禁止はされていませんでした。バスの中には先生もいるのですが、黙認するかたちでした。そのため、私たちは自由に手話で話して、楽しく手話を身につけておしゃべりしていました。そこで先輩たちとのコミュニケーションを通して手話を身につけたことが、一生の財産となりました。
ー演技に興味を持ったきっかけはなんですか。
きっかけは、幼い頃にチャップリンの無声映画を見たことです。無声映画は音がないのに理解することができますよね。だから、聴者もろう者も同じように楽しめるんです。そのチャップリンの演技を見て自分も同じように演じたいと思って、演技に興味を持つようになりました。
ーそれからどのようにして役者になったのですか。
ろう学校の幼稚部、小学部で劇をする機会があったのですが、そのときは台詞を手話ではなく、口話で演じるよう指導されていました。筑波大学附属聾学校(註二)に編入した後、高等部で手話での芝居をやりました。大学時代に、手話で演技を続けていたところ、大学卒業後に、日本ろう者劇団の代表である米内山明宏さん(註三)から、 一緒に劇団で活動してほしいと声をかけていただいたんです。長文が書かれた大量のファックスが届いたのを覚えています。それまでは東北での就職を考えていたんですが、両親に話をして大学卒業後東京に移住し、就職し、日本ろう者劇団に入ることになりました。日本ろう者劇団を辞めた後は、一人芝居や二人芝居などをしています。
ー手話劇とはどのようなものですか。
名前のとおり、手話言語で行う芝居演劇です。手話劇の中には普通の手話で会話をする劇や「visual vernacular(ビジュアルバーナキュラー、vv)」という手話の視覚的表現を用いた劇もあります。vvは、音声がなくても、手話を見れば分かります。例えばゼロ戦だったら、戦闘機を操縦する様子や、相手から撃たれて命を落とす様子を、手の動きや表情で表現するんです。落語や音楽は、聴者は楽しめるとは思いますが、ろう者の中には楽しめない人も多くいます。私が手話で演じる様子を見て、多くのろう者に楽しんでもらえたり、感動してもらえたり、ありがたいことに好評を頂いております。
ー演技力はどのように身につけましたか。
欧米の映画や芝居作品を見ると俳優さんの表情が本当に巧みですよね。それは自然に獲得されるものだと思うんですが、日本だとあまり表情を出さないことが美徳とされているように感じます。でも手話においては、顔の部位などの表情が文法として機能しているんです。なので、演技に必要な表情は、手話話者としてある程度身につけることができました。
それから、作品を見ながら、自分がどういう風に演じたらいいのかを勉強しました。例えば昔の映画ですが、『カサブランカ』に出演したハンフリー・ボガートさんやアル・パチーノさんといった有名な俳優さんの表情がとても巧みで、彼らのように話やその内容の重さや軽さを表情で表すような演技をしたいと強く思いました。 当時は邦画には字幕がなかったのですが、洋画には字幕があったので、それを見て日本語の勉強をしていたんです。そんなふうに作品を見て学んだことを引き出しとして蓄積して、今回はこの引き出しから持ってこようというように、自分の演技に活かしています。
ー以前出演されてた『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』(註四)では、不就学で手話ではなく、ホームサインで育った菅原という人物を演じていました。 菅原を演じるにあたって工夫したことはなんですか。
菅原のように学校に通ったことのないろう者の方と関わったことがあったので、その方たちのコミュニケーションの取り方やしぐさの一部分を取り入れて、 菅原に合うように変えていきました。また、私の義母も菅原と同様に不就学で、彼女の実家などではホームサインが使われていたんです。そういった実際に使われているホームサインを参考にしました。
それから、菅原は感情に波があるキャラクターだったので、表情作りが上手く演じるための鍵になると思いました。『道』というイタリア映画があって、それに出演しているジュリエッタ・マシーナという俳優さんの表情がとても巧みなんです。その表情を参考にして、 どう演じたらいいか考えました。
ー『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』では、ろう者役を多くのろう当事者の方が演じました。当事者が演じることについてどのように考えていますか。
当事者が演じることは効果的だったと思います。今までこんなに多くのろう者が出演する作品はなかったですよね。
ろう者や手話を扱う作品ではろう者の役を聴者の俳優が演じることがほとんどですが、やっぱりその手話が自然ではないことが多いです。有名な俳優が出ることで視聴率を高めるという戦略があるのかもしれませんが、知名度を意識して無理に聴者に頼むのではなく、ろう者自らがろう者の役を演じることが、よりリアリティのある作品にするためにやっぱり重要だと思います。
その上で、それぞれの俳優が同じようにオーディションを受けて役に適した俳優を選ぶというように、平等に扱われるべきだと考えます。そして、手話監修をろう者にお願いすることも必要だと感じます。そういった意味で、采配を考えるコーディネーター役が非常に重要になってくるのではないでしょうか。
ー日本で使われる手話には日本手話と日本語対応手話の二種類があるそうですが、その違いについて教えてください。
文法が異なります。 日本語対応手話は、日本語の文法と同じ順番で単語を表現します。一方で日本手話は、日本語の文法ではなく、独自の文法に従って表現します。それから、「以上」という言葉を例にとってみると、「三〇〇m以上」といったように、それより上の範囲であることを表すときの「以上」という手話は、どちらの手話でも同じように伝わるでしょう。しかし、「私からは以上です」というように、会話や文章の最後に使われる「以上」は、同じ手話で表出しても日本手話では伝わりません。そうすると、「以上」という意味を表すために「終わり」という手話をすることが求められます。日本手話で話をしたり、日本語を日本手話に通訳したりするときには、意味と意図をきちんと表出、翻訳することが必要になってくるんです。
ー映画やドラマではどちらが使われることが多いのでしょうか。
昭和三十年代に公開された『名もなく貧しく美しく』という映画では聴者がろう者を演じたのですが、主人公の手話は日本手話が用いられていました。その後、 日本語対応手話がよく使われるようになりましたが、最近は日本手話にシフトしているように感じます。ただ、手の動きが合っていても、顔の表情や文法が少し違うことがあって、そこがやはり日本手話の難しさなんですね。作品のためにその時だけ、一夜漬けのように手話を覚えて手の動きは再現できても、顔の表情までは作れないと思います。
例えば日本手話では、同じ「行く」を表す手の動きでも、表情によって「行く方がいい」ということや、反対に「行かない方がいい」ということも表現できるんです。一方、日本語対応手話で「行く方がいい」と表現する場合、「行く」「方が」「いい」という単語に分けて、それぞれ手話で表さないといけません。日本手話を母語・第一言語とするろう者が日本語対応手話を見たら、一つ一つの単語を追って何を言っているか頭の中で考えながら見る必要があるんです。でも日本手話は手指の動きと表情によって、複数の情報を一度に伝えることができます。この同時性は日本手話の大きな特徴であり、作品で日本手話を用いる難しさでもあると思います。
ー多くのろう者にとっては日本手話の方が身近な言語だと思いますが、日本手話がもっとドラマや映画の中で使われるべきだと思いますか。
そうですね。ただ、その役がどんな役かを踏まえて、誰にお願いするのかを決めることが重要になってくると考えます。例えば難聴者役の場合、彼らの多くは日本語対応手話をコミュニケーション手段として使うので、聴者が演じても特に問題ないと思うんですよね。でもろう者役なら日本手話を母語・第一言語とする当事者が日本手話で演じた方が、ろう者から見ても面白いと思ってもらえるような作品にできるんじゃないかと。
難しいのですが、手話を用いた作品だからといって、必ずしもろう者が楽しめるとは限らないところがあるんです。例えば、以前ブームが起きた手話歌は歌詞の単語に沿って手話をしていて、日本手話として成立しておらずその内容はつかめません。それ自体は特に否定はしませんが、日本手話を使うろう者は、それを見て面白いとは感じないということは分かっていただければと思います。
ー日本手話と日本語は、同じ「日本」という言葉がついていても、全く異なる言語なのですね。
そうですね。 例えば入試、就職、資格取得などにおいて筆記試験を受けるときも、自分たちの言語とは全く異なる日本語で作られた試験問題だと不利になってしまうわけですよね。そういった中、職場でろう者が昇進して何らかの役職につくことはかなり難しいんです。なので日本語による試験ではなく、手話による試験があれば、もっと社会で活躍するろう者が増えてくるのではないかなと思っています。そういった環境作りが重要なのではないかと思うんです。
それから、日本語は話し言葉と書き言葉があり、脚本や小説は日本語で書かれていますが、手話は文字がないんです。だから、ろう者の手話を日本語に翻訳して小説を作ったり、ドラマ化したりすることも必要なんじゃないかと思います。
ー映画やドラマでろう者の方が描かれるとき、乗り越えるべき障害に対してひたむきに頑張る姿が感動的に描かれていると思うことがあります。メディアで描かれるろう者の姿が実際の姿と乖離しているということを感じますか。
そうですね。幼いころはそういった乖離を感じませんでしたが、役者としてさまざまな経験をする中で、メディアで感動的に描かれるろう者の姿に違和感をもつようになりました。
確かにろう者の実際の生活を見てみると、ろう者ならではのやらかしや間違いはたくさんあります。例えば、電車が停車している間に降りて飲み物を買っていたら、振り返ったときにはドアが閉まっちゃった後だったみたいなこととか。普通は発車ベルが鳴って急いで乗り込むと思うんですけど、ろう者だとそれに気づけないんですね。
こういう不便は確かにありますが、それは決して可哀想なことではなくて、普通に生きているんだということをもっとアピールしていく必要があると思うんです。私の知り合いのろう者には、沖縄で夜に海にもぐって魚を捕まえて競りに出していたような人もいます。現在は、実際のろう者のことを知らない聴者がろう者を描き、それを見た聴者が感動するということがよく見られます。なので、作品の制作に携わる聴者と、ろう者の実際の生活をつなぐことが必要だと思います。そうすることで、それまで知らなかったようなことを知ってもらえるのではないでしょうか。
ーなかなか焦点が当てられず、当てられたとしても偏った形で取り上げられる人々がいる現状を変えるために、私たちにはどんなことができるでしょうか。
皆さんというより、当事者である私たちがもっとアピールをしなくちゃいけないのかなと思っています。ろう者のリアルな状況は、やはり当事者ではない人に見えてないんじゃないかなと思うんですよね。だから、もっとアピールしていかなくちゃいけない。そうすれば、ろう者役に当事者が配役されることも増えるのではないかと思います。
ただ、脚本においてろう者が配役されることが少ない以前に、そもそもろう者に触れる作品がかなり少ないように感じます。それは基本的に聴者がドラマや映画を作るからだと思うんです。そこにろう者が入ってくることはほとんどないんですね。
こういった現状をすぐに変えることは難しいでしょうが、ろう者のありのままを伝えることは必要だと思います。米アカデミー賞で作品賞を受賞した『コーダ あいのうた』(註五)でも、ろう者の俳優さんがろう者役を演じたんです。さらに、その中の一人の俳優さんが、男性のろう者で初めて米アカデミー賞助演男優賞を受賞しました。この作品によって、ろう者が見ている世界を知ってもらうと同時に、ろう者も演じることができるんだという考えも広められたと思います。その影響は、国境を越えて日本にも届きました。こんなふうにろう者の見方を変えるきっかけがあればいいのかなと思います。そんなきっかけを生み出すためにも、とにかく広めること、アピールすることが私たちろう者に必要だと考えています。
ー今後やりたいことはありますか。
今は百のやりたいことリストを作っています。仕事も大事ですがそんなに熱中しすぎず、悔いのない楽しい人生を送るために、やりたいことをやることが重要だと思うんです。やらずに後悔するよりも、やって後悔する方がいいと思うので、なかなかできないことをリストアップしています。これまでに、畜産農家の方にお話を聞いたり、実際に体験したり、他にも、『紅の豚』の舞台になったとされるギリシャのザキントス島に行きました。今後は、ポルトガルの路面電車が走っている横で手話を使って中継するなど、いろんな場所に行って自分が知らない世界を見ながら、残りの二十三個をぜひ達成したいですね。
(註一)手話の拠点として、手話に関する研修・研究・試験授業を展開するほか、障害者の就業支援、市民の生活相談支援など、地域に根差した支援を行う全国手話研修センター内の研究団体。
(註二)現在は筑波大学聴覚特別支援学校。
(註三)演出家、俳優。日本ろう者劇団の設立に関わり、初代代表を務めた。
(註四)丸山正樹の『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』がドラマ化され、二〇二三年にNHKで放送された。ろう者の両親の間に生まれた手話通訳士の荒井尚人を主人公としたミステリー作品。那須さんは菅原吾朗役を務める。
(註五)二〇二一年に公開された、アメリカ、フランス、カナダの合作映画。監督は、シアン・ヘダ―で、ろう者の両親の間に生まれた少女を主人公にしたヒューマンドラマ。アカデミー賞では、作品賞、脚色賞、助演男優賞の三冠に輝いた。