言語は人々の生活に欠かせない。世界中の人間が話すそれぞれの言語は、どれも代わりのない唯一のものだ。しかし、そんな言語も社会の変化の中で淘汰されることがある。実際、世界に7000ある言語のうち、およそ半数が21世紀の間に消滅すると言われており、現在それらを保護しようとする活動も行われている。
そのような動きがある一方で、言語学者の吉岡乾さんは、言語の消滅を止めようとはせず、ただ記録し続けるという姿勢で研究を行なっている。消えゆく言語を前にして、彼はなぜ喪失に抗わないことを選んでいるのだろうか。吉岡さんの言語の喪失との向き合い方について、お話を伺った。
吉岡乾(よしおかのぼる)
国立民族学博物館/総合研究大学院大学准教授。パキスタン北西部からインド北西部にわたる地域で、ブルシャスキー語、カラーシャ語、ドマーキ語など七つほどの言語の研究に従事している。著書に『なくなりそうな世界のことば』『現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき。』(2冊共に、創元社)など。
――言語学者としての仕事内容を教えてください。
記述言語学(註)を専門にしていて、パキスタン北部の山奥で話されている複数の言語について研究しています。年に1回、1カ月ほど現地に滞在して調査を行い、そこで得た資料の分析をすることが主な仕事内容です。
――調査や研究では、具体的に何を行うのでしょうか。
現地調査では、その言語がどんな話され方をしているのか知るため、聞き取りを行なって単語やテキストを収集します。それをもとに体系や構造を解明して、辞書、文法書、テキスト集または物語集の3冊を作るんです。この3冊は、言語について知りたいとき、また消滅してしまった言語を復活させるときに欠かせないものなので、これらの作成が言語学において一番の目標とされています。
――現地に行って調査をするのはなぜでしょうか。
それが最も効率が良くて、確実に精度の高いデータが取れる方法だからです。僕が研究している言語には文字がないので、データを集めるには実際に話してもらう必要があります。最近は話者がインターネットに動画を投稿していることもありますが、音声の質はあまり良くないし、何を言っているか確認するのにも手間がかかるので、現地に行って目の前で話してもらう方が良いんですよね。
――吉岡さんが研究している言語について教えてください。
パキスタンの山奥には、いくつも谷があって、その谷ごとに異なる民族が生活しています。地形の性質上、互いの行き来がしにくく民族間の交流があまりないので、20ほどある民族ごとの言語が、どれか一つに統合されることなく残っているんです。ただ、それぞれの言語は互いに影響し合っていて似たところも多くて、いくつかの言語を一緒に研究した方が都合が良いので、僕はそのうちの7つくらいの言語を研究しています。中には少数言語と呼ばれる消滅の危機に瀕した言語もあります。
――言語が消滅してしまう原因はなんでしょうか。
話者が少ない小さな言語は自分のコミュニティの中でしか使えないので、グローバル化に伴ってコミュニティの外に出る機会が増えると、小さな言語を使い続けることにそれほど意味がなくなるんです。小さな言語よりも、国全体で使えるような、話者が多い大きな言語を身に付けた方が役に立ちますからね。そういう状況下で親が子どもに大きな言語を教えることを選択して、小さな言語は継承されなくなっていく。これが、言語が消滅する最大の原因です。
他にも色々原因はあって、例えば、差別されている民族が身分を隠すために大きな言語を使うようになる場合や、政治的観点から使用言語を統一するために、政府が公的に小さな言語の使用を禁止する場合もありますね。
――言語が消滅する原因には、社会状況が深く関わっているんですね。
そうですね。言語はコミュニケーションツールであって、コミュニケーションは社会的な関わりの中で生じるものです。だから言語の消滅は、それが内発的なものであれ、外発的なものであれ、総じて社会状況に起因します。
――吉岡さんが研究している少数言語の場合は、どういった原因で消滅の危機に瀕しているのでしょうか。
僕が研究している中で最も危機的な状況にあるのはドマーキ語という言語なのですが、ドマーキ語を話すドマという民族は、残念ながら周囲からちょっと下に見られてるんです。ドマーキ語の場合は、彼らが身分を隠すために自ら手放していることが要因だと思います。
それから、ドマ族は音楽を生業にしている民族で、その活動のために、別の村に移住している家族もいます。移住した人たちは、そこで生活していくにあたって使う言語をその村の言語にシフトしていく必要があったので、ドマーキ語を話す機会が減っていったんです。そんなふうに別の村に行った身内がドマーキ語を使わなくなっていったことを受けて、ドマーキ語を話せる人が暮らしていた地域でも、自分たちも違う言語にシフトしようという流れが生まれました。そうした状況によってドマーキ語の話者は輪をかけて減っていき、現在では、ドマ人でもドマーキ語を話せない人がほとんどになりました。
――やはり話者が少ない言語ほど消滅しやすいと言えるのでしょうか。
確かにそうですが、そういった状態でも消滅しにくい言語はありますね。例えば、話者が少なくても、外部とのコミュニケーションが少なくて、ちゃんと子どもたちの世代にも継承されていく言語はなくなりにくいと思います。だから、全体的に見ると話者が少ない方がなくなりやすくはありますが、一概にそうとは言い切れないですね。
――言語が消滅した状態とは、話者が一人もいなくなった状態を指すのですか。
かなり判断が難しい部分です。そもそも、話者とは誰を指すのかという問題があります。例えば、その言語でありとあらゆる表現ができる人が話者なのか、ちょっとでも話せたら話者なのか、話せないけど聞いて意味を理解することはできる人も話者なのか。そもそも話者の定義が難しいので、「話者がいなくなった」と判断することも難しいんです。ただ、話者が何人いるのか国勢調査のように統計を取ったら、数値上では、その言語がなくなったと言えるタイミングが表れるかもしれません。というのも、まだその言語を話せる人がいたとしても、話す気がなければ、話者ではないという体で調査の回答をすると思うんです。そうすると、調査結果的には話者が0になる。本当は話者が存在したとしても、その言語がなくなったとされることはありうると思います。
――少数言語が消滅することによって、社会に何か影響はあるのでしょうか。
多分、社会全体に取り立てて影響はないんじゃないでしょうか。その言語がなくなっても構わないぐらいに存在意義が弱くなっているからこそ、なくなるわけですから。
ただ、その言語を話していた民族にとっては、それまで蓄えてきた知識の一部がごっそり抜け落ちることになるから、何か悪影響があるかもしれません。言語はそれぞれの民族のアイデンティティの大黒柱であって、自分たちの価値を確認するための拠りどころになるものなんです。だから、言語がなくなることは、民族にとっては大きな問題なんじゃないかと思います。
――少数言語の話者たち自身は、自分たちの言語が失われることをどう感じているのでしょうか。
それは、その言語が失われるに至ったプロセスや社会状況によって大きく変わってきます。自らアイデンティティを捨てたいと思っていた民族なら、言語がなくなっても損失はないって思うんじゃないでしょうか。一方で、何かに強制されて泣く泣く言語を手放したのであれば、それを取り戻そうとするんだと思いますね。
――吉岡さんのような言語学者は、現地の人にとってどんな存在なのですか。
正直、あまりメリットがない存在だと思います。だから調査を進めるにも、メリットを提示して協力を得ることは難しいので、まずは仲良くなって、それから友達として助けてもらっています。現地の人からしたら、毎年来る変な外国人みたいな感じなのかな。特にドマーキ語を話す地域だと調査を始めてもう20年になるので、村人の半分以上は僕のことを知ってるんです。初めて会ったときは小さかった子どもがもう成人していたりもしますね。
――長い間現地調査を続けている中で、現地に変化を感じることはありますか。
ありますね。元々は景色が良くて空気も綺麗だったのに、どんどん観光開発が進んで、景色も空気も悪くなってきています。例えば、谷沿いにある村で、谷底の景色を楽しめるようになっていたところに建物が建てられたりするんです。お金になるので現地の人は開発に乗り気なのですが、個人的には現地に少なからず愛着があったので、今の状況が寂しくもあり、腹立たしくもありますね。
――少数言語の消滅を阻止するために言語の保護を求める声も多い中、吉岡さんが言語を保護しないことを選んでいるのはなぜでしょうか。
なくなるにはなくなるなりの理由があるからです。言語学においては全ての言語に等しい価値があります。少数言語は歴史の中でたまたまマイナーになっているだけで、何かが違っていたら英語じゃなくドマーキ語が広く話されていたかもしれないんです。どの言語も同じくらい複雑だし、どんなことでも表現できるし、僕にはどれもキラキラして見えています。
ただ、社会的に見たら全ての言語が等しい価値を持っているわけではありません。やっぱり英語が一番ギラついてるし、ドマーキ語は道端の小石みたいなものです。言語学的な価値は、その言語の話者も含め一般の人にとっては関係のないことで、やはり社会的な価値がなくなってしまった言語はその話者から手放されてなくなってしまいます。
だから、言語学的な価値観だけに基づいて判断することは、言語学者の独りよがりなんです。言語はあくまで話者たちのものなのだから、社会的価値観に基づいて判断しないといけません。それで僕は、なくなりそうな言語に対して、保護しないというスタンスを取っています。
他にも僕と同じ考え方の研究者はいるはずですが、みんなあえてそれを言う必要がないから言わないんだと思います。だけど最近、保護すべきだという声が大きくなってきているのを見て、あえて僕は自分のスタンスを表明するようにしています。
――言語を消滅させないことが正しいとは限らないのですね。
なくなったら戻ってこないものはなくならない方がいいという理屈では、保護が正当化されるのかもしれません。だけど実際には、その言語を残すメリットがないのなら、手放されることは道理として当然ですよね。
ただ現地の人は、言語がなくなったら戻ってこないということを知らない場合がほとんどです。だから、言語を手放そうとする彼らに、その事実をことあるごとに伝えるようにはしています。それでも、彼らが望んでいないのに保護を押し付けるというのは、当事者でないからできることであって、言語学者のでしゃばりだというのが僕の感覚です。
――目の前で言語が消滅していく様子を目の当たりにして、喪失感や痛みはありますか。
正直、僕自身の言語ではないので、多少の喪失感はあっても痛みはありません。僕は現地に行くとき、立場を超えて入れ込みすぎないように、あくまで言語学者として言語と向き合うことを常に自分に言い聞かせてるんです。痛みを感じないのは、そうやって常に一歩引いた状態を保とうとしているからでもあるように思います。
ただ、焦りはあります。基本的に言語は一度なくなったら戻ってこないし、なくなったら何も分からなくなってしまうんです。一刻も早く記録をしないと手の施しようがなくなってしまうという焦りは、彼ら自身よりも、客観視できている僕の方が強い気がしますね。
――吉岡さんは、そういった焦りから言語の記録を続けているのでしょうか。
そうですね。言語学者として、記録が少ない言語がなくなりそうになっていたら、その記録はちゃんと残さなきゃいけないという気持ちは真っ先にあります。それから、いまだに英語や日本語を研究している人が世の中にたくさんいるように、言語の研究って、一生かけても終わるものじゃないんです。そんな中、パキスタンの山奥の小さな言語をいくつも一人で研究しているので、言語学者としての義務感はより一層強いです。
――喪失しそうな言語を保護をせずにただ記録するというスタンスを取るにあたって、言語が失われることを惜しむ思う気持ちとは、どう折り合いをつけているのでしょうか。
確かに言語学者としては、言語がなくなることは大きな損失で、みすみす手放したくないという気持ちはあります。ただ一方で、やっぱり仕方ないかなという諦めの気持ちの方が強いんです。ドマーキ語を見ていると、言語を手放すことで馬鹿にされる機会を減らせるんだったら、僕だったら手放すなって思ってしまいます。
ただ、自発的な話者の選択によって消滅していくのではなくて、外部の力が加わって消滅させられているのなら、事情は変わってくると思います。僕も、ドマーキ語がもし周囲からの圧力でなくなりそうな状況だったのなら、延命させる気になっていたかもしれません。それでも、周囲からそういう圧力がかかるような社会状況にあって、それを変える活路を見いだせない限りは、やっぱり諦めるべきなんです。道筋がないものに道筋を作ることは、一個人ごときではできませんから。むしろ、個人のエゴで無闇に道筋を作ろうとして痛みを長引かせることは、余計に残酷なんじゃないかっていう気がします。
――記録することは、自分のものではない喪失に対して取ることができる、限られた行動のうちの一つなのですね。
そうですね。言語の喪失を目の前にしたときできることは、僕に関して言えば、言語の記録を取ることだけです。大きな社会の流れの中で起こる喪失は個人の力で止められるものじゃないし、何より、喪失の当事者たちがそれを望んでいないなら、外部の人間は諦めるしかありませんから。その中で僕ができることは、記録すること以外ないんです。
ただ、できるだけ不足のない記録を残そうと努力はしていて、それはある意味、いつでも復興作業に取り掛かれるようにするための準備でもあります。あくまで流れには逆らわない範囲でやれることをやって、それがゆくゆく現地の彼らのためになったらラッキーだなとは思いますね。
註 ある言語のそのときの状況をありのままに記録し、分析する学問。