私たちは子どもの頃、何にでもなれると思っていた。テレビの中の変身に純粋に憧れていた。大人になった今、それは実現不可能なフィクションでしかない。そんな風に変身できないことなんて分かっている。日常から抜け出したくてもがいても、結局自分は自分のままだ。それでも、平凡な自分に嫌気が差したとき、変わりたいと思わずにはいられない。
普通の女の子が伝説の戦士になって戦うアニメ「プリキュア」は、これまで多くの人々を魅了してきた。そこに描かれる「変身」は、子どもの頃の憧れでしかないのだろうか。今の私たちがそこに見いだせるものはないのだろうか。初代『ふたりはプリキュア』のプロデューサーであり、今なお制作に携わり続けるプリキュアの父・鷲尾天さんに、「変身」に込めた思いを伺った。
鷲尾天(わしおたかし)
商社、三省堂、秋田朝日放送を経て、1998年に32歳で東映アニメーションに入社。
『キン肉マンⅡ世』や『釣りバカ日誌』をプロデュースしたのち、2004年に、日曜朝8時の女の子向けアニメ枠のプロデューサーに抜擢され、西尾監督と共に「プリキュア」シリーズを生み出す。
『ふたりはプリキュア』から『Yes!プリキュア5 Go Go!』までプロデューサーを務め、最新作『ひろがるスカイ!プリキュア』にも企画として携わっている。
現在は同社執行役員・エグゼクティブ・プロデューサー。
——「プリキュア」シリーズが始まった経緯を教えてください。
日曜朝8時半に女の子向けアニメーションの枠で放送していた『明日のナージャ』(註1)が終わるタイミングで、交代で私がその枠のプロデューサーを担当することになりました。女児向けのアニメはやったことがなくて何も分からなかったので、自分が楽しいと思うもの、アニメでやってみたいと思うことをとにかく形にしてみるしかないというのが当時の心境でしたね。
それで自分の子どもの頃を思い出したときに、変身とかアクションとかっていう要素にすごく憧れていたなと思ったんです。それをもとに監督やスタッフと話し合いを重ねて、ヒーローものをやってみようということになりました。
そうして生まれたのが初代の『ふたりはプリキュア』で、ありがたいことに、気づけば20年も続くシリーズになっていました。
―—子どもは変身のどんなところに魅力を感じているのだと思いますか。
自分じゃないものになれる、自分にない能力を持てる、というところですかね。子どもの頃ってよくごっこ遊びをしたじゃないですか。自分のなりたいものになりきって楽しんでいた。そうやって子どもが自分たちなりにやっている変身を、映像でうんと派手に実現させてみたら、子どもたちはとても喜ぶんじゃないかと思ったんですよね。
―—『おジャ魔女どれみ』(註2)や『美少女戦士セーラームーン』(註3)など、それまでにも変身を扱う女の子向けのアニメはあったと思います。それらに後続する作品となるプリキュアでは、変身をどう描いたのでしょうか。
私も監督も、変身することの意味やその映像的なイメージには、自分たちなりのコンセプトを持たなくてはダメだと考えていました。プリキュアが何のために変身するのかを考えたとき、それは決して楽しむためとか可愛くなるためとかじゃなくて、自分たちの世界に侵略してくる者たちに立ち向かうためなんです。そこは大事にしないといけないと思っていました。だから変身シーンには、華やかさよりも決意のイメージを取り込みたかったんです。
そのために一番意識していたのは、変身中の表情の描写ですね。これから自分は相手に立ち向かっていくんだという決意がきちんと込められた、キリッとした顔。ものすごく緊迫した状況での変身なので、初代のふたりは笑顔じゃなかったんです。
―—変身シーンを描く際には、何をイメージしていましたか。
自分の学生時代の体験に重ねていました。私は陸上の短距離選手だったんですが、大会や記録会のレース前、ユニフォームに着替えてスパイクの紐を結ぶときって、すごく気持ちが高揚したんですよ。やってやるんだっていう気持ちになっていた。そうして準備を終えてスタートラインに立ち、全員がコールされた後、「位置について」と言われるまでにちょっとした間があって。そのとき、両サイドの観客席とグラウンドが見えなくなって、目の前の一本の100mラインだけが見えるようになる。その瞬間の空気がすごく好きでした。プリキュアの変身にも、こういう奮い立つような感覚があると思ったんです。
だから、プリキュアの変身はユニフォームを着て靴紐を結ぶ瞬間であり、競技場に出て位置につく直前の瞬間であり、そこには強い決意があるという解釈をしていました。そう考えたとき、プリキュアがコスチュームを着ることやプリキュアとして名乗ることは、自分はこうなるんだ、これが自分だっていう決意表明なのだと思います。
―—プリキュアの華々しい変身の裏にある決意を大切にされていたのですね。
変身するだけでは完結しませんからね。変身した後に、攻めてくる相手に立ち向かうという本当の目的がありますから。それは決して楽しいことではないし、むしろつらいことかもしれない。それでも自分がやらなきゃいけないんだということを、彼女たちは覚悟しているんです。
―—普通の女の子であるはずの彼女たちが、どうして強大な敵に立ち向かうことを決意できるのでしょうか。
自分で考えて自分で行動しようとする意思があるからかな。誰かに言われて行動するのでは、そんなふうにプリキュアとして立ち上がることはできない。自分の中でどうしても譲れない大切なものがあるから、それを脅かす存在に対してやめてくれってちゃんと言えるのだと思います。
『Yes!プリキュア5』の水無月かれんは最初、変身できなかったんです。それは、私が頼られるのであればやらないわけにいかない、という消極的な気持ちで変身しようとしていたから。でも、どうなろうと私がこの人たちを守るんだと自分から決意したとき、変身できるようになった。自分がどうしたいのか考えて、そのために自ら行動しようとする、その意思がとても大事なんです。20年続くシリーズを通して、そういう自分の足で凛々しく立つ姿をずっと大切にしてきました。
―—大人になったとき、プリキュアのそういった凛々しい姿は一層魅力的に見えるように思います。
そうかもしれません。実は、大人は反対に敵に感情移入してくれることがあって。『Yes!プリキュア5』で、アラクネアという敵キャラが上司のカワリーノに黒い紙を見せられて「これを使えばあなたはきっとプリキュアに勝てます。だけどあなたは自分を見失ってしまうかもしれない。どうします?」と決断を迫られるシーンがあります。アラクネアは勝ちたいし認められたいけど、自分を見失うのは嫌だからものすごく迷う。すると、カワリーノが黒い紙をパッと手から離す。紙がひらひらって落ちていくと、アラクネアは思わず取っちゃうんですよ。カワリーノは「ああ、取りましたね。じゃあ頑張ってくださいね。」と言って去っていく。嫌なシーンですよね。社会に出たらそういうことも起きうるけど、みんなはどうする?ってさりげなく問いかけるシーンです。
このシーンを観てはっとする大人は多いと思います。そうやって自発的に決断できなかったアラクネアと自分を重ねたとき、対照的に自分の意思で変身を掴み取るプリキュアが眩しく見えることもあるかもしれません。でも、覚悟して決意表明しなきゃいけないってことを突きつけられる瞬間は誰にでも必ずあって、その瞬間、真剣に考えて本気で向き合わなくてはいけないのは、プリキュアも私たちも同じなんです。
―—決断しなくてはいけない瞬間が訪れたとき、プリキュアのように自分の意思で決断するためにはどうしたらよいでしょうか。
大切なのは、日常的に自分で選択をしているという自覚があるかどうかです。みんなあまり意識しないだけで、自分がどうありたいかを常に選択しています。例えばご飯に誘われたとき、他にやりたいことがあったら断るでしょう。ご飯に行きたければご飯に行きたい自分。他のことがしたければ他のことがしたい自分。いろんなシチュエーションで、その瞬間ごとに誰もがなりたい自分を常に選んでいます。
そうやって日々の選択を積み重ねていった先で、何か大きな決断をするときに、自分は一体何になりたかったのか、今の自分はどうしたいのかを一生懸命考える。その結果がプリキュアにとっては変身であり、そこには覚悟や決意が込められているんです。
だからまずは、目の前のことを考え続けて、選択していく。そうやって選んだひとつひとつに対する自覚があれば大丈夫です。その積み重ねが活きる瞬間が、絶対どこかでありますから。
―—周りと自分を比べて焦ってしまい、目の前のことをないがしろにしてしまうときもあるように思います。特別な何かにならなくてはいけないという焦りとは、どう向き合うべきだと思いますか。
私もそれを危惧しています。よく子どもに将来の夢を聞くじゃないですか。でも、まだ自由でいいんじゃないかなと思うんです。大人になると、なりたい自分がないことを責められることもあるでしょうけど、それでもまずは肩の力を抜いて向き合うくらいで大丈夫。
元々プリキュアは、勉強や部活だったりお出かけだったり、日々目の前のことに精一杯だっていう表現の方が多かったんです。私はそれが人として正しい姿だと思っています。『Yes!プリキュア5』くらいからプリキュアのみんなも自分の夢を語るようになったけれど、彼女たちだって最初から明確な夢を持っていたわけではない。あくまで、いろんなことを繰り返し考えていくうちに、自分の中でやってみたいことが見つかったという描き方をしました。それは強迫観念に駆られてなりたい自分を決めることとは違います。
私が「プリキュア」シリーズの中で一番好きなセリフは『ふたりはプリキュア』42話の「なるべく頑張るぞ」っていうなぎさのセリフなんです。無理をしないで、できるだけ頑張る。夢を追わなきゃいけないという風潮や、特別な何者かにならなくてはいけないという強迫観念に縛られないでいいんです。それよりも、日々、目の前のことに喜怒哀楽を出すことを大切にしてほしい。
―—自分の日常に一生懸命でありさえすれば、自分じゃない特別な誰かになりたいという願望にとらわれる必要はないんですね。
変身への憧れは、大人になっても変わらないんですよ。すごい能力を持っている人って羨ましいじゃないですか。例えば歌手やスポーツ選手を見ていて、あんなことをやれたらすごく楽しいだろうなとか、あんな場所に立って手が震えないなんてありえないとかって思うことありますよね。自分じゃできないことをしてみたいっていう願望は、子どもも大人も関係なく持っているんだと思います。
今はそういう変身願望を満たせる手段が身近にあって、例えばSNS上で名前や外見を変えれば、簡単に自分じゃないものになれますよね。そうすることで自分の気持ちを解消できるのであれば、それもありだと思います。SNS上の自分が、自分の積み重ねのひとつとして自信につながるのであればそれでいいんです。でも、本気で向き合わなくてはいけない瞬間が訪れたとき、そこを逃げ場にしてしまってはしんどいんじゃないかな。何者かでなきゃいけないという強迫観念は捨てていいから、それまで積み重ねてきた選択を信じて進んでほしいです。
―—プリキュアを観て育った大人にとって、プリキュアという作品はどんな存在であってほしいですか。
子どもの頃は、変身シーンやアクションシーンを観て、かわいい、かっこいいと思ってもらえたらそれでいいんです。そうやって夢中になってプリキュアを観ている中で無意識に覚えていてくれたことが、大人になってからぱっと出てくる瞬間があるはずですから。プリキュアを思い出したとき、彼女たちのセリフやあり方が心に響けばいい。子どもたちが大きくなったそのときにその子の励みになるように、そういう気持ちを込めて作品を作っています。
(註1)2003年から2004年にかけて放送された、東映アニメーションによるアニメ。20世紀初頭のヨーロッパを舞台に、少女ナージャの母親探しの旅を描く。
(註2)1999年から2003年にかけて放送された、東映アニメーションによるアニメ。主人公・春風どれみが友人とともに魔女見習いとしての修行に励み、成長していく様子を描く。
(註3)主人公・月野うさぎを中心とする少女たちの、セーラー戦士としての戦いを描いた作品。1992年から1997年にかけて東映アニメーションによってアニメ化された。
ひろがるスカイ!プリキュア
「プリキュア」シリーズが20年かけて描いてきた「ヒーロー」をテーマに据え、果てしなく広がる「空」をモチーフに、天空の世界「スカイランド」と自然に囲まれた「ソラシド市」、二つの世界を舞台に凛々しく戦う姿を描くプリキュア最新作。
ABCテレビ・テレビ朝日系列にて毎週日曜あさ8時30分放送中
BSS山陰放送にて毎週日曜あさ6時15分放送中
©ABC-A・東映アニメーション
キボウノチカラ
〜オトナプリキュア ‘23~
『Yes!プリキュア5』・『Yes!プリキュア5 GoGo!』の夢原のぞみを中心に、かつて中学生だった彼女たちが成長した姿を描く、幅広い世代に向けたオリジナル作品。
NHK Eテレにて2023年10月より放送
©2023 キボウノチカラ オトナプリキュア製作委員会