社会に根付く「当たり前」や「普通」は、ときに誰かのアイデンティティを抑圧する。それによって、ありのままの自分を出せず思い悩む人は少なくない。
こうした抑圧を前に、正面からそれに打ち勝とうと身を削るのか、自分を隠しながら生きるのか。取ることのできる選択は他にないのだろうか。
抑圧や葛藤と真剣に向き合って苦しむくらいなら、そんなものは相手にしなくていいのではないか。
今回お話をうかがったのは、ドラァグクイーンとして活躍されているエスムラルダさんだ。
ドラァグクイーンの起源は、同性愛者の男性が、派手な衣装や厚化粧によって「女性性」を過剰に演出したことにあると言われている。こうした文化の根底には、社会からの抑圧を笑い飛ばし、自分のアイデンティティを楽しむ姿勢が見てとれる。エスムラルダさんは、ドラァグクイーンとしてその姿を変えることで、これまで抑えつけていた自分をどのように解放したのだろうか。
エスムラルダ:1994年からドラァグクイーンとしてイベントや各種メディアに出演。ライターとしても数多くの著作を執筆し、脚本家としては「第12回テレビ朝日21世紀新人シナリオ大賞」の優秀賞を受賞。さらにディーヴァユニット「八方不美人」のメンバーとして歌手デビューを果たすなど、幅広いジャンルで活躍している。
ードラァグクイーンとはどんなお仕事か教えてください。
一言でいうと、女装をしてパフォーマンスをする仕事、ですね。女装と言っても、目を二倍くらいに大きくしたり、口紅をかなりオーバー気味に引いたりと、過剰なメイクをするのが特徴的です。そのように女性らしさの象徴である「化粧」をあえて誇張しパロディ化して表現することで、「女らしさ」や「男らしさ」といったものを笑い飛ばしていると言われたりもします。
自分の憧れのディーヴァ(註1)の曲に合わせて口パクでショーをする、リップシンクという表現方法も特徴の一つだと思います。ホイットニー・ヒューストンやマドンナ、ビヨンセといった歌手の曲を使って、彼女たちの口の動きを真似しながらきらびやかな衣装で踊るんです。あと、これは日本のドラァグ文化独自の特徴なんですが、色々な映画やドラマの音声を切り貼りし、それに合わせてリップシンクのショーをする人もいますね。
ードラァグ文化の良さはどんなところにあると感じますか。
社会から押し付けられた「~らしくなきゃいけない」といった固定観念を、あえてやりすぎなくらい強調することで、その馬鹿馬鹿しさとかナンセンスさを明らかにしてみせる、という表現方法に魅力があると思います。「らしさ」に縛られて自分をその枠の中に閉じ込めるのではなく、「らしさ」を逆手に取っておもちゃにして遊んでもいいんだ、という自由な気持ちにさせてくれるんですよね。たまに「女性をバカにしている」と勘違いされるのですが、そうではなく、ドラァグクイーンというのは、「らしさ」というもの全体を捉え直す試みだと私は思っています。
ードラァグクイーンを始めたきっかけは何だったのですか。
1994年、大学四年生のときに、同い年で今でもドラァグクイーンとして活躍されているブルボンヌさんから「一緒にやろう」と誘われたことがきっかけです。当時、ル・ポールというドラァグクイーンがニューヨークで大人気だったんですが、彼の『Supermodel』という曲のMVがすごくカッコよくて、最初はその真似をする形でドラァグクイーンを始めました。
ードラァグクイーンという存在は、当時の日本ではどのような認識だったのですか。
世間ではもちろん、ゲイの間ですらあまり馴染みのないものでしたが、1995年に『プリシラ』(註2)というドラァグクイーンを描いた映画が日本でも公開されたことで、徐々に認知が広がっていきました。そのあたりから、私もクラブイベントからオファーをいただいて、ショーをやる機会が増えていきました。
ードラァグクイーンが、そこまで認知されていない中で挑戦しようと思えたのはどうしてですか。
単純にノリと勢いですね。それでいざドラァグクイーンをやってみたら、意外と楽しくて。それまで特に女性になりたいっていう願望はなかったんですが、思い返せば、幼い頃からドラマや映画のヒロインや、女性のシンガーなどに憧れる気持ちはありました。『おんな太閤記』(註3)の真似をして、昔の着物みたいに布団を肩からかけてごっこ遊びをしていたし。だから、ドラァグクイーンをやろうと言われたときも何の抵抗もなくやれたんだと思います。
ーエスムラルダさんはどんなパフォーマンスをするドラァグクイーンなんですか。
基本的にはホラー系お笑いドラァグクイーンです。人を怖がらせつつ、笑わせるパフォーマンスをやっています。最初に影響されたのはル・ポールでしたが、結局、ル・ポールとは似ても似つかない方向に行ってしまいました。
ーどういった経緯でホラー系のショーをするようになったのですか。
ドラァグクイーンを始めてしばらくした頃に、マルガリータさんという方から一緒にショーをしようと誘われたんですが、当時の私は本当にメイクが酷くて。その顔に黒のロングウィッグを被ったら、周りの友達やお客さんから「怖い」と言われたんです。そこで、どうせなら顔の怖さを活かそうという話になり、『未知との遭遇』(註4)をモチーフにしたショーをしたところ、お客さんにすごく喜んでもらえたんですよ。
それがきっかけでホラー系のショーをやり始めたんですが、顔芸で怖がらせるだけだとすぐにネタが切れてしまって。そこで、普通にバラードのリップシンクのショーをやってみたら、周りから散々つまらないと言われ、それならホラー系に徹しようと心に決めました。ちょうどその頃から日本の歌謡曲に合わせたリップシンクも流行り始めていたので、梶芽衣子さんの『恨み節』とか石川さゆりさんの『天城越え』とか、そういう情念系の曲を使って、血のりを吐いたり生首を飛ばしたりといったホラー的な小ネタ演出をショーに入れるようになりました。
怖さも極端にすれば笑いに変えられる、人間の強い感情も突き詰めればギャグになる、というのが、私のパフォーマンスの核になっていると思います。
ーパフォーマンスにおいて笑いの要素が含まれるのは、ドラァグクイーンの方々に共通していることなのですか。
笑いの要素を一切入れず、豪華な衣装と綺麗なメイクで完璧なリップシンクをする人もいるし、ドラァグクイーンによってパフォーマンスの特色はさまざまです。ブルボンヌさんや私などは、何かネタ的なものを入れないと気が済まないタイプですね。
ーエスムラルダさんは、どういった経緯でゲイコミュニティと出会ったのでしょうか。
20歳のときに初めて新宿二丁目に行き、思いっきりカルチャーショックを受けました。同性を好きな気持ちを共有できる友達が欲しくて足を運んでみたんですが、勇気を出して飛び込んだお店で、「18歳で経験人数75人!」みたいな子と知り合ったりして。当時の私は奥手だったので、「この街にはなじめない!」と心の中で泣きながら帰りました。それでもゲイの友達が欲しくて悩んでいたときに、たまたま書店で、あるゲイの団体が出した本を見つけたんです。別の本に挟んでこっそりそれを買って読んでみたら、すごく真面目な内容で感銘を受け、その団体に連絡を取りました。それをきっかけに、その団体の人たちと関わりを持つようになったんです。
ーその団体はどういった活動をされていたのですか。
セクシャリティに悩んでいる人の電話相談や、同性愛者が受ける差別を解消するための運動、HIVに関する予防・啓発活動などをしていました。そこで、何でも話せる同世代のゲイの友達がたくさんでき、「同性を好きなのはおかしなことではない」と理解できたおかげで、ゲイである自分を肯定できるようになったので、とても感謝しています。ただ、今ほど同性愛への理解が進んでいなかった時代に、そうした活動を行うためには、内部の結束を固める必要がある。そのせいか、当時は「ゲイの気持ちはゲイにしかわからない」といった空気もあり、そこに違和感を覚えるようになって。ちょうどその頃、たまたまブルボンヌさんたちと知り合い、少しずつ彼らと一緒に過ごす時間が増えていきました。
ーゲイの友達ができるまでは、周囲に自身のセクシュアリティを隠していたのですか。
物心ついた頃から、男性が好きだという自覚はあったんですが、誰に教えられたわけでもなく、「人に言ってはいけない」と思い込んでいました。大学に入るまでは、部活動や受験などやらなきゃいけないことに追われていたのもあって、自分のセクシュアリティと向き合うことを先延ばしにしていたんです。好きな同級生とかはいたけれど、告白なんてとんでもないという感じでした。
ーセクシュアリティを隠していたときは、どこか自分の中で違和感を抱えていたのでしょうか。
そうですね。セクシュアリティを隠して人とコミュニケーションをとっていたときは、やはりどこか壁ができていたと思います。自分がゲイであることを隠していると、そのことに関してはずっと嘘を言わなきゃいけない。クラスで誰が好きかという話題になったとき、本当に好きな男子のことは言えず、人気のある女子の名前を言うこともありました。恋バナのときに毎回嘘を言うのは自分でもしんどかったし、セクシュアリティ自体は隠しおおせていても、周りの人から、どこか「本音が見えない」と思われていた部分はある気がします。ただ、ゲイである自分を肯定できるようになり、周りの人にカミングアウトするようになったことで、そういったしんどさからは少しずつ解放されていきました。
ードラァグ文化と出会ってショーをするようになったことは、エスムラルダさんにどんな影響を与えましたか。
やり始めて間もない頃は、一回一回のステージが本当に鮮烈でした。メイクをして衣装を身に纏い、ステージに立つと、素の自分では照れやためらいがあってできないようなパフォーマンスをすることができる。それが本当に楽しかったです。
ーエスムラルダさんにとって、メイクや衣装などの外見の変化には、自分を解放させる役割があるのでしょうか。
そうですね。見た目を変え、エスムラルダという仮面を被ってステージに上がることで、普段の自分とは違う回路が開く気がします。素顔のまま、男性の格好のままだと、思い切った顔芸もできないし、どこか「男性」という役割に縛られて、振り切れない部分が残ってしまう。全く別人になるわけではありませんが、外見を変えることで、より自由に大胆になれている部分は、確実にあると思います。
ーショーのとき以外にも、日頃からメイクをされたりするんですか。
私にとっては、メイクはショーをやるためのものなので、それ以外のときは面倒くさくてしないんです。メイクが好きな人は、自分の仕事じゃないときにもメイクをしてクラブへ遊びに行ったりしてるんですが、私はそういうのも一切しなくて。ショーのときにしかメイクをしないからこそ、メイクをすることで気持ちが切り替わって、舞台に立つ心構えができるのかもしれません。
ードラァグクイーンの活動を続けていく中で、批判や誹謗中傷を受けたこともあると思いますが、そうしたことに傷ついたりはしないのですか。
エスムラルダとしてやっていることへの批判や誹謗中傷は、もちろんショックではあるんですが、どこか他人事のように捉えている部分があります。本名で書いたものなどが批判されたときに比べて、衝撃は小さいんですよね。だから、「エスムラルダ」でのエゴサーチは割としますが、本名でのエゴサーチはあまりしません。それは恐らく、「エスムラルダは外的人格だ」という感覚があるからだと思います。メイクをして衣装を着て、エスムラルダという仮面を被ることで、傷つきやすい生身の自分を守っているような気がしますね。
ーエスムラルダさんが俯瞰的になったのは、ドラァグ文化に身を置いてきたからですか。
ドラァグ文化に影響を受けて……というより、大学で社会学を学び、物事を客観的に見る大切さを知ったことと、仕事柄文章を書いて自分の思考を外在化させる機会が多いこと、20代のときに容赦ないゲイの友達と出会ったことが大きいと思っています。
彼らはみんな変に観察力があって、しかも、よく抜き身の刀で斬り合うような会話をしていました。たとえば、恋愛関係でセンチメンタルになっていると、慰めたりいたわったりするどころか、「うじうじしてる」とか「悲劇のヒロインぶってる」とか、傷口に塩をこれでもかと揉み込んでくる。自己憐憫とか自己陶酔とか、あるいは自分を過大評価するみたいなことを一切許してくれなかったんです。でもそのおかげで、嫌でも自分を引いて見られるようになりました。
ードラァグクイーンの活動に対する意識はどのように変化してきましたか。
最初のうちは、「この曲でどうしてもショーをやりたい」という衝動や、「目の前のお客さんに楽しんでほしい」という思いに突き動かされて、リップシンクのショーをやっていました。ただ、その後、エスムラルダとしてコラムを書いたり、脚本を書いたりお芝居に出演したり、八方不美人というユニットを組んで歌を歌ったりする機会が多くなり、楽しんでもらいつつ、生きていく力や糧になるような何かを感じてもらえたら嬉しいと考えるようになりました。また、ショーでもそのほかの表現活動でも、ある時点から、ただ自分のやりたいことをやるだけではなく、どうすれば自分の意図が、よりお客さんに伝わるかというところを戦略的に考えるようになりました。
たとえば、つらい気持ちを一方的に押し付けたり、自分と違う立場の人をいたずらに批判し攻撃したりしても、なかなか共感してもらえない。人に何かを伝えるときには、ただ自分の思いを提示するのではなく、相手が受け入れやすい形に加工する必要がある。そのために、俯瞰的に他者の目を感じ取ったり汲み取ったりすることはあらゆる表現において大切だと思います。
ードラァグクイーンを続けているモチベーションは、今はどこにあると思いますか。
今も、やりたくてやっているから、というのが一番大きいかな。以前は、「お呼びがかからなくなったら、自然にフェードアウトしよう」と思っていたんですが、コロナ禍でクラブイベントが全くなくなった時期も、結局、YouTube配信とかしちゃってたんですよね。それは、ドラァグクイーンとしてパフォーマンスをしたい、メッセージを伝えたいという強い気持ちが私の中にあるからだと思います。
ーこれからのドラァグクイーン人生における目標はありますか。
ドラァグクイーンを続けていく中で活動の幅が広がり、社会問題や同性愛者が抱える問題などについて言及する機会も多くなってきました。その中で、メイクをしドレスを着て、ドラァグクイーンのエスムラルダとしてメディアに出ることも当然あって。そういう極端な見た目で、ドラァグクイーンひいてはゲイの代表として、広く目につく場所で発信をすることにはリスクもあります。「ゲイはみな、こういう格好をしたがる」という誤解を招いたり、同じセクシュアリティの人の悩みを深くしてしまったりするおそれもある。でも、やはりこの見た目で、ドラァグクイーンのエスムラルダとしてでなければ伝えられないこと、届けられないメッセージもあるんです。それによって誰かを救ったり、過去の自分と同じ悩みを抱えている人の力になれたりすることもあると思っています。だから、リスクを踏まえた上で、それでも私はこのやり方での発信を続けていくつもりです。自分自身も楽しみつつ、「誰かが前向きな気持ちになれるようなことを伝えたい」という気持ちを忘れずに、ドラァグクイーンとして歩んでいきたいですね。
(註1) オペラ、演劇、映画、ポピュラー音楽など幅広い分野において成功を収めた女性歌手のこと。
(註2) 「プリシラ号」というバスに乗り旅をする三人のドラァグクイーンを描いたロードムービー。1995年公開。
(註3) 豊臣秀吉の正妻ねねの視点から、激動の戦国時代と豊臣家の栄枯盛衰を映し出した大河ドラマ。1981年にNHKにて放映。
(註4) UFOの出現をきっかけに、人類が異星人に接触するまでのストーリーを描いたSF映画。1977年公開。