珍しいものに魅力を感じる。
それは私たちにとって自然な感情だ。
では、当たり前にそこにあるものはどうだろうか。
ありきたりなものには、魅力はないのだろうか。
例えば、朝。朝は毎日、誰にでも、訪れる。
だからこそ僕たちは朝を無頓着に過ごしてしまっている。
当たり前にあるものにも魅力はあるのか、あるとすればどのようにそれを享受するのか。
そのヒントを得るため、『九龍ジェネリックロマンス』や『恋は雨上がりのように』といった作品の中で、日常を印象的に描いている眉月じゅん先生にお話を伺った。
眉月じゅん:第1回金のティアラ大賞(集英社主催)にてデビュー。主な著作に、TVアニメ化、実写映画化もされた『恋は雨上がりのように』全10巻、初期短編集『さよならデイジー』がある。現在『九龍ジェネリックロマンス』を週刊ヤングジャンプにて連載中。7巻が5月19日に発売予定。本作は、「このマンガがすごい!2021(宝島社)」オトコ編第3位、「マンガ大賞2021」入賞と業界最注目の俊英である。その作風は、海外からの評価も高く2022年ヨーロッパ最大、フランス最古の漫画祭「アングレーム国際漫画祭」では公式ポスターを描いている。
漫画家としてのルーツ
——漫画家になろうと思ったきっかけは何ですか。
物心ついたときから、なぜか漫画家になりたいしなるものだと思っていたんです。
深く考えずに漠然と漫画家になりたいって思ってました。
漫画を一本も書き上げたことがない状態でもずっとそう思ってました(笑)
——それは漫画が好きだったからですか。
そうですね、漫画大好きだったなあ。
少女漫画が特に好きでした。
私が小学生の頃ってちびまる子ちゃんやセーラームーンが始まった辺りで、みんな少女漫画を満喫してました。
私も生粋のりぼんっ子で、当時はりぼん(※1)でいつか連載漫画描きたいと思ってました。
※1:集英社が発行する1955年創刊の少女漫画雑誌。
代表する連載漫画として『ちびまる子ちゃん』、『天使なんかじゃない』などが知られている。
——本気で漫画家を目指したのはいつ頃ですか。
具体的なことを考え始めたのは、20歳くらいです。
短大に行ってたんですけど、学生のうちはまだ猶予があると考えていて。
卒業が近くなって、周りが就職するか別の大学に進学するかってなってる時に、本腰を入れて漫画家になると決めて、アシスタントのバイトも始めました。
その時に「25歳までに必ず漫画家デビューしよう」と期限を決めて、初めてストーリー漫画の原稿を一本きちっと描きました。
ちなみにそれが『恋は雨上がりのように(以下『恋雨』)』の原点的な読切なんです。
その後2作目に描いた漫画を投稿してデビューしたのが、25歳でした。
——では、20歳までは漫画家になるために行動したことはなかったのですか。
なかったです。
絵を描いてはいたんだけど、漫画としてではなくて、イラストとしてって感じでした。
でも、小学生の頃は漫画家入門みたいな本を読み込んでコマ割りとかを学んではいました。
——漫画を描くうえでこだわりはありますか。
私は、ペン入れまでは絶対にアナログって決めてますね。
デジタルもアナログも、どっちもいいと思うんですけど、やっぱり、ペン入れは紙にGペンでインクをつけてガリガリ描く作業が好きなんですよね。
デジタルでのペン入れも試したことはあるけど、筋肉の使い方が違うみたいで全然慣れなかったんですよ。
私には合わなかったかなっていう感じですね。
取り巻く朝
——朝にはどのようなイメージがありますか。
朝はもう本当に嫌いです。
辛い、朝起きるの。
だからこそ漫画家を選んだところもあるかもしれない。
学生の頃は、どうしても早起きしなきゃいけなかったけど、卒業したら朝になんて起きるものかって思ってた。
私、朝について語っていいのかな(笑)
——漫画家の生活リズムはどういったものですか。
自由ですね。
だからちゃんと朝起きて描いてる人は本当に少なそう。
でも長く続けてる人とかは最終的にそうなるんだと思います。
私も将来的にはそうなりたいけどちょっと今は無理だなあ。
もう本当に朝起きたくない。
それこそ取材で朝の10時からですよって言われてたら、もう「うわあ辛い…」って感じでした。
漫画家は、朝は寝てるかこれから寝るって人が多いんじゃないですかね(笑)
——『九龍ジェネリックロマンス(以下『九龍』)』の中では、主人公・鯨井の朝が印象的に描かれています。何か理由はあるのですか。
作者としては、朝のシーンというより彼女がどういう風に生きているかを丁寧に描くということに意味があるんです。
実は、これは作品テーマにおいて重要なことで。
編集さんからの提案もあって、打ち合わせで彼女の起きてからのルーティンを丁寧に描こうっていうのを決めました。
でもそれだけじゃなくて、『恋は雨上がりのように(以下『恋雨』)』でもそうだったけど、私はその人らしさが出るところをすごく丁寧に描きたい。
どんな洋服を着るのか、そもそも洋服には興味がないのかとか、冷蔵庫の中には何を入れているのかとか、そういう生活の細かいところにその人らしさは出ると思う。
それは、私が一番描きたいことでもあるし、見たいところでもあるんです。
——確かに生活の細かいところの描写は色々な所で出ていますよね。それはまさに眉月先生が描きたかったことなのですね。
そうですね、描きたくてやってる。
『九龍』に限らず、『恋雨』もそう。
多分これからもずっとそういうことばっかり描くと思う。
以前、別の編集さんに「日記みたいに漫画を描いているところがあなたの良さだね」って言われたこともあります。
——ご自身でも、「日記みたい」だと感じる部分がありますか?
そうですね、すごくしっくりきました。
大きな事件とかじゃなくて、今日はこういうことがあった、みたいな本当にちょっとしたことを描きがちなので。
『九龍』で例えると、鯨井が外でランチしていたら日に焼けちゃった、みたいな。
だから人によっては本当に何も起きてないなって感じちゃう漫画かもしれないんですけど、私はそういう毎日の細かいことの積み重ねが人生でありその人を形作るものだと思っているので、そういうのを描いていきたいんですよ。
——確かに一読者として、眉月先生の作品はキャラクターが日常を送っていく中で、自然とストーリーが進んでいるような印象を受けます。
描くにあたって、もちろんラストは最初から決めているしそこに向けて描いているんだけど、どういうルートを進むかは本当にゆっくり考えていってますね。
人によっては退屈に感じるかもしれないけど、そもそも漫画って合う合わないがあるものだと思うので。
私が大事にしている部分に魅力を感じて読んでくれる人がいると嬉しいです。
——眉月先生の中で、印象に残っている朝のエピソードなどはありますか。
朝のエピソードか…。
やっぱり朝と夜どっちが好きかって言われたら断然夜になっちゃうんだよね。
多分みんな夜の方が好きじゃないですか、夜ばっかり注目されてるというか。
でも私は朝の光はめちゃくちゃ好き。
20代の頃の朝帰りした日なんですけど、今でもよく覚えている朝があって。
日が昇ってビルの上から差した朝の始まりの光が、綺麗な薄いブルーですごく美しかったんです。
朝の色ってあるんだと改めて実感しましたね。
友達と遊んだ帰りの、本当になんでもない朝だったんです。
その瞬間誰かといたとか、印象的なことを言われたとかでもない。
それなのに、強く印象に残ってるんですよね。
その時の朝の、色とか空気とか匂いを思い出しながら『九龍』の一巻の朝は描きました。
——表現技法として、自然の情景を心情描写として使うことがよくあると思います。眉月先生の作品の中に出てくる朝には、そういった意味はありますか。
作者として意図的にそうすることはないかな。
キャラから見た朝を描いてます。
読者にこう思わせたいから、ではなくて、今このキャラクターには朝がこう映っているだろうなってものを素直に描く。
そういう意味では心情描写とも言えるかな。
だから見え方もそうだし、朝の過ごし方もキャラクターによって違ってくると思うんですよね。
キャラによって全く違う考え方をしていて、同じ朝でも違う行動をとるんだっていうところで。
鯨井の朝もあれば、工藤さんの朝もあるし楊明の朝もある。
そこにその人らしさを感じて、共感したり自分とは違う部分に惹かれたりすると思うんです。
やっぱりそこが漫画を読んでいて楽しいところだし、描いていて楽しいところでもあると思うんですよ。
——では、視点となるキャラクターが変わることによって、同じものでも描き方を変えることはあるのですか。
絵そのものはあんまり変えていないです。
これ言っていいのかわかんないですけど、例えば私の漫画に出てくる空って、まったく同じ空のシーンが実はいっぱいあるわけ(笑)
『恋雨』は最初から最後までアナログ原稿だったんだけど、夏の雲や空がいっぱい出てきたシーンは、スクリーントーン(※2)ていうのを使っていて、描いてるわけじゃないんですよ。
シールみたいなものだから、スクリーントーンって。
『九龍』も割とそうなんです。
空のスクリーントーンを貼ってるだけのところが何箇所もあります。
だから読んでる人が、もし同じ空でも何となく印象が違うなって感じるのであれば、絵そのものよりもそのときの構成とか、キャラの表情やセリフから、どう感情移入するかによるのかなって。
——そう感じた時はもう眉月先生の掌の上で転がされているんですね。
テクニックだよね、私の♡
——『恋雨』では綺麗な空がよく出てきました。読んでいて、確かに夏の空はとても印象的でした。何か夏の空にも思い入れがあったりするんですか?
夏の空というよりは夏に対してですかね。
『恋雨』を描き始めてみて、私は夏を描くのが好きなんだなって感じました。
作中で季節が巡って冬になった時に、雪とかで背景が楽にはなるんだけど、本当にモチベーションが上がらなくて。
それで当時の担当さんにお願いして、あきら(『恋雨』の主人公)の1年生の時の夏の回を入れさせてもらったんですよ。
そしたらもう、筆が乗るわ乗るわで。
編集さんに原稿を渡したら、「原稿が輝いてる、ここ数回の原稿とまるで違います」って言ってくれて。冬、全然面白くない。
絶対作家さんによってどの季節が好きとかあると思うんです。
私は断然夏です。
『九龍』はずっと夏なんで最高ですね。
※2:漫画を描く際に使われるデザインシート。
貼りたい場所に形を合わせて切り抜き、上から擦ることで、トーンのデザインを貼り付けるように使う。「トーン」とも呼ばれる。
キャラを信じる自分を信じる
——作品を創るうえで大切にしていることはありますか。
私はキャラクターや物語に対して絶対に誠実でありたいって思っていて。
例えば、グエンとみゆきが付き合うってなった時に、私がそうなってほしくてこの二人をくっつけてるように見えるのかなってふと思ったんです。
でもそんなことはなくて、二人が付き合うことになったのはキャラに誠実に向き合った結果なんです。
私がキャラに対してこうなってほしいんだけどなって思っても、話が始まってしまうとキャラ自身は勝手に動き出してしまう、みたいなことがあるんですよ。
そういうときは、自分がこうしたいっていう方じゃなくて、キャラがどうしたいかを尊重するようにしています。
グエンとみゆきはキャラに従った結果、付き合って別れました。
——すごくキャラクターを大切にされているんですね。
そうですね、なので私も描いていて次の展開が読めないことがあるんですが、そこが連載していて楽しいところ、醍醐味だと感じています。
キャラの意思を尊重する。
それでどんなに驚くような動きを見せても、物語の最終的なゴールは変わらないんですよ。それは自分でも不思議だなって思います。
なので安心してキャラが動きたいように動いてもらうって感じですね。
キャラを信じる自分を信じる、みたいな。
——自分が経験していないことを作品内で描くにあたって、どのようにそのイメージを形にしているのですか。
あまり意識したことはないなぁ。
さっきの鯨井の朝の話も、ああやって描いたけど私自身は早起きって学生時代くらいしかしてないし、その時も実家暮らしだったから鯨井みたいな行動にはならなかったんですよね。
一人暮らしは漫画家デビューしてからだったから、朝起きる必要もなかったし。
もちろん映画や漫画なんかで得た情報も引き出しにはあるけど、まあ、なんとなくわかるもんなんですよ(笑)
だってそんなこと言っちゃったら、殺し屋の漫画を描いてる人は人を殺したことがあるのかっていったら違うと思うし。
朝とかは殺し屋の生活に比べたら随分身近なものだからどうにでもなるというか。
——それぞれのシーンの題材にするエピソードは、どのように選出しているんですか。
それに関しては編集さんの存在が本当に大事で。
私が日々の生活で何か感じたことを自分ではなんてことない話のつもりで喋っていても、編集さんから「それすごく良いエピソードですよ」って言ってもらうことがあって。
『九龍』のタバコとスイカの組み合わせもその一つです.
私の母が、昔タバコを吸いながらスイカを食べていて、連載前の打ち合わせの時にそれをポロッと言ったんですよね。
そしたら「そのエピソードは絶対に使うべきだ」って言われて、自分では「そんなに食いつくところ?」と思ったんですけど、本当にその通りにして良かった。
自分では気づかないこともたくさんあるので、そういう時に編集さんがいると助かりますね。
他にも、編集さんにこういうときはどうしてますかって聞いたときに意図してない答えが返ってくることがあって、そういうのは自分の感覚と離れているほど参考になります。
ときめきを大事に生きる
——創作する上で、朝に限らず、日々の生活の中で意識していることはありますか。
胸がときめいた瞬間を忘れないようにするってことですね。
もう本当にどんなことでもいいんです。
たまたま入ったお店で、「あー、おいしいな」みたいな。
そういうのが、コロナ禍でいろんなものが閉鎖的になって、すごく減ったように感じるんです。
元々外にあんまり出なかったけど、より一層出なくなったし、すぐに誰かと会えるような感じではないじゃないですか。お店に行きたくてもやってない場合もあるし。
だから最近は特に、「今だ!」って感じたときに、何にどんなふうにときめいたかを忘れないようにしてます。
——最近の胸がときめいたエピソードはなんですか。
アホみたいな話でちょっと恥ずかしいんですけど、今日着けてるこのイヤリングは、ふらっと立ち寄ったデパートで衝動買いしちゃったんですよ。ときめいちゃいましたね。
しかもそのお店の中に、ものすごくキャラが立ってるマダムがいたんです。
フランスにしょっちゅう行っているらしくて、「パリに居る日本人は下品でいけないわ」みたいなことを言っている、本当に絵に描いたような人で。そのマダムのお話が、内容は面白いんだけど信じられないくらい長かったんです。
漫画みたいな人だなと思ってちょっと面白くなっちゃってお話を聞いてたんだけど、余りにも長かったんで「ごめんなさい。もっとお話聞きたいんですけど、時間が…」って帰ろうとしたら、「分かった。じゃあ今日の講座はここまで!」って言われて。
感動したとかではないんだけど、忘れないようにしようと思った。
楽しい気持ちと苦痛だなって気持ちと、なんか色んな気持ちを感じた。やっぱりそういう出来事も外に出ないと起こらないよなって。
生活の中の発見や、心の動きを大事にすることが豊かさに繋がるんだと思います。
——日常の胸のときめきを大事にして、忘れないようにしているというお話が印象的でした。自分自身、非日常ばかりを追い求めていたと気づかされました。
確かに今は非日常を求めがちですよね。
作品づくりにおいても、最近はそういう風潮が強いように感じます。
でも、たとえ非日常を描くとしてもそのキャラクターの日常的な部分って本当に大事だし、見たいところだと思うんですよ。
それこそ人殺しの話でも、『LEON』とかそうですよね、花に水をやったりとか。
その人の私生活が垣間見えて初めて、読者はそのキャラを好きになると思うんです。
だからそこは絶対に手を抜いちゃいけないし、必ず描くべきなんですよね。
私の場合は描き過ぎかもしれないけど。どんなに非日常的なものであっても、日常的なところは絶対に必要だと思います。
編集後記
緊張の中迎えたインタビューは、眉月先生の気さくな人柄のおかげで終始朗らかに進んだ。
しかし、時折垣間見える鋭い観察眼は、こちらの考えを見透かされているような凄みさえ感じさせた。同席した担当編集の大熊八甲氏は、眉月先生についてこう語る。
「眉月さんが見ている世界の解像度はとても高くて、なおかつ経験値と想像力のバランスも非常に良いんです。そして世の中の普遍的なリズムやルールは変わらないということを理解されている。だからこそ、限られた経験からでも想像力でそこを更に広くできているんだと思います。自分が経験していない事象でも、想像することができる。このキャラクターはきっとこう考え、こう動くだろうと。経験値と想像力が両方優れている、それは解像度の高さゆえに、物事をより深く見ることができるからなんでしょうね。一つの事象から読み取る情報が非常に多いんだと思います。」
こうした”解像度の高い世界”は、眉月先生の何気ない日常を豊かに享受しようとする姿勢によって支えられているのだろう。
いつもの通学路、トースターの焼き上がりの音、毎日すれ違う近所の人。
日常を今よりも少しミクロな視点で観てみることで気づけることがあるかもしれない。
何気ない日常の中にもきっと、感動はある。
九龍ジェネリックロマンス&恋雨 公式Twitter @ameagarinoyouni