写真を見て、このバス停で「あったかもしれない出来事」を想像してみてください。かつてここにはどんな人がいて、どんな会話をしていたのか。その人は一体どんな気持ちだったのか。誰もいない場所を見て、そこにいたかもしれない誰かの様子を思い浮かべること、それは幽霊を見ることと本質的には同じなのかもしれません。あなたにしか見えないたくさんの面影は日常を彩ってくれることでしょう。日常に散らばる「人がいた」痕跡に目を向けてみませんか。
①二人の高校生がここで帰りのバスを待っている。 次のバスまではあと十分くらい。一人はベンチの端に座って、一人は少し離れたところに立っている。バスを待っている人は、他には誰もいない。 二人は毎日バス停で顔を合わせて同じバスに乗っているけれど、話しかけるような関係ではない感じ。あいさつすらもきっとしない。無言で、夏から秋の虫の声だけが聞こえる環境。 でもベンチに座っている方の子は、ちょっと相手に話しかけたそうな雰囲気がある。立っている方の子はいつもイヤホンで音楽を聞いてて、実はすこし気まずそうな感じ。 時折犬の散歩をする人が通り過ぎていく。もしかしたらいつかその犬の話で二人が盛り上がる時が来るかもしれない。 何かきっかけがあればすぐに距離が縮まりそうだ。
②とにかく私には、一人で落ち着ける場所が必要だった。 仕事を覚え始めた時期で、同期たちと噂話にまみれたランチをする気力は無かった。昨日の残り物を詰めただけの弁当を抱えて会社の周辺をうろうろしていると、あまり関わったことのない会社の先輩に唐突に声をかけられた。
「いい場所、教えてあげようか?」
その先輩はシゴデキだけどその気の強さから社内で煙たがられていた。でもそのときの私はなぜか頷いた。 到着したのは小さなベンチと日よけのあるバス停。
「朝と夕方にしかバスが来ないから、昼はほとんど人がいないの。」
それだけ言うと、先輩はベンチの左端で自分の弁当を食べ始めた。先輩のお弁当にはタコさんウインナーが入っていた。私は右端に座って、特に会話もせず其々の弁当を食べ進めた。
③バスがつく十分前には、もうバス停にいる。 意味もなく時刻表を見てみる。すっかり色褪せたたくさんの数字。でも、その中の一つだけは、輝いて見える。 意味もなく弟と目を合わせてみる。あんまり似ていない兄弟。でも、今この瞬間だけは、おんなじ顔をしている。 遠くから、低いエンジンの音が聞こえてくる。ぱっと顔を上げて、その拍子に腕時計を見て、また地面に視線を戻す。石を蹴る。草をむしる。疲れてベンチに座り込む。 近づいては遠ざかっていくばかりの車の音。待ち望んでいたはずの音が、恨めしくなってくるくらい繰り返される。 地面の蟻と見つめあっていたら、何度目かの音が、少しずつ小さくなって、消えた。顔を上げる。時計を見る。炭酸ジュースのペットボトルを開けたような音。 走り出す。 バスの目の前で足を止めると、小さなタイヤが擦れる音が聞こえる。 そして、大きな銀色のスーツケースが、階段の上に現れる。
④寝坊した日の朝、学校に行きたくなくてバス停で一人ぼーっと座っている。 バス停まで来たのはいいものの、近くに学校があるせいで体育の授業中の生徒たちの笑い声が良く響く。体育が苦手だから、校庭からの笑い声は自分を嘲笑っているかのように感じる。 今から行っても自分はあの輪には馴染めないなーと思ったり。 時刻はすでに十時過ぎ。一度遅刻してしまうと何分遅れようがもうどうでもいいや、と開き直ってしまうあの感じ。結局そのまま体育の授業が終わるまでそこで過ごして、チャイムと同時にバス停を出て教室に向かう。