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【インタビュー】ことばの橋の上で|絵本作家・翻訳家 前田まゆみ

2026 3/17
VOL. コピー インタビュー
2026年3月17日
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思考は言語を使って行われるため、言語が違えば考えることも違い、見える景色も変わる。原書の内容を別の言語へ翻訳する過程には、どうしても「歪み」が伴う。だが、翻訳における「歪み」は必ずしも避ける必要があるとは限らない。言語ごとの景色をつなぐ橋が翻訳だとするなら、橋を渡りやすくする工夫もまた必要である。本を読み終えたあとに見える景色をより多くの人と一緒に楽しむためにはどうすればいいのか。それは、翻訳の橋で待ち合わせを試みるようなことなのかもしれない。今回は絵本作家であり、海外の絵本の翻訳も手掛けている前田まゆみさんにお話をうかがった。原文に敬意を払うこと、読者を考えて文体や言葉を変えることに向き合う姿勢や、言語が違うことによるものの見方の違いについて考えてみたい。

前田まゆみ
絵本作家、翻訳家。神戸女学院大学英文科で学び、洋画家の杉浦佑二氏に師事。一九九四年ごろから絵本作家として活動。植物、動物を中心とした自然科学系の知育絵本をおもに手がける。ファブリックや雑貨のデザインも手がけ、京都でリネンのショップLINNETの創業、運営にも関わる。著書に『野の花えほん』(あすなろ書房)、『オーリキュラと庭のはなし』(アリス館)、『えほん般若心経』(春秋社)などがある。翻訳絵本はベストセラーとなった『翻訳できない世界のことば』(創元社)のほか、二〇二〇年産経児童出版文化賞翻訳作品賞を受賞した『あおいアヒル』(主婦の友社)、『100年の旅』(かんき出版)など。京都市在住。

―翻訳の仕事をするようになった経緯をお聞かせください。

 私はもともと絵本の仕事を三十年ぐらい前からしていて、翻訳の仕事は十年以上前に始めました。翻訳の仕事は絵本の仕事の流れの中でお声掛けをいただいたんです。私は大学で英文学科に在籍していて、卒業後はイギリスの銀行で働いていました。私が作る絵本は児童書でいう知育系の本がもともと多く、デビュー作は園芸についての本でした。イギリスから帰ってきたばかりで、英国庭園などの影響をとても受けていて、英語圏の本や図鑑をたくさん資料として読んでいました。あるとき、そういう私の作風をご存知の編集者に、「翻訳どうですか?」とお誘いをいただいたんです。最初に一冊やらせていただいて、絵本の制作と並行してそのあと二冊ぐらいやってみました。そうしているうちに、『翻訳できない世界のことば』という本のお声掛けをいただいて、それがきっかけで、ありがたいことに翻訳の仕事は増えました。翻訳という橋渡しみたいなことが自分でできる仕事になって感謝しています。

―絵本を翻訳するときに大変なことは何ですか。

 絵本というのは、最近は大人向けの本もありますが、基本は児童書です。テキストが短くて、詩に近いような厳選された言葉に絵をつけるので、言葉を最低限にして絵で語るという部分があります。翻訳するとなったときに、例えば長くて分厚い本なら、いろんな説明が書かれていますが、絵本では一つ一つ説明をせず、短い言葉でバシッと言うことがあるわけです。それをどのように他の言語から日本語に置き換えるかというのは、短いから簡単だというものではなく、難しいところだと思います。また、子どもに読んでもらうときにすぐに意味が変わってしまいそうな言葉は使いたくない。児童書は、場合によってはかなり長期間残るものです。なので、一年や二年で消え去るような流行語なんかは絶対適しませんし、文法的にも正しくする必要があります。また、私の場合は、本当は使いたい言葉、例えば文学的に美しくて風情のあるちょっと古めの言葉があるときも、児童書では使うのを諦めることもあります。そのような言葉を使って翻訳することもやってみたいんだけれども、私の役目上、今はちょっと違うのかなと思っています。

―絵に対して単語が一語だけになることもあるのでしょうか。

 私の場合だと、そういうこともあり得ます。例えばヨーロッパ系の言語は、構造が論理的で、基本は主語と述語があります。赤ちゃんに語りかけるような言葉でも、ちゃんと構文になっています。それをそのまま英文和訳みたいに日本語に置き換えると、非常に違和感が出てしまいます。赤ちゃんに対してする言い方ではなくなってしまうんです。だからそこは思い切って変えたりはしますね。よく私が例に出すんですけれども、「だいすきだよ おつきさまにとどくほど」(パイインターナショナル)という赤ちゃん用の絵本で、熊の親子がお互いの鼻をくっつけている絵があるんです。それを私は「おはなすりすり」って訳したんですね。「おはなすりすり」って七文字ですけれども、原文は、“(前見開きの文:we can show our love…からつづき)Like when we’re touching noses”という文になっていて、英文解釈的な直訳は「私たちは私たちの鼻をこすり合わせているときにお互いの愛情を表現できる。」ですが、長すぎるし、そのまま訳すと理屈っぽいですね。だから、「(前見開き:それから どうやって なかよし する?)おはな すりすり」としました。赤ちゃんに向けた口調にするための置き換えが必要だと思っています。

―翻訳の代表作である「翻訳できない世界のことば」についてお聞かせください。

 『翻訳できない世界のことば』の原題は「LOST IN TRANSLATION」と言うんですが、それを書いたときの著者はとても若かったんです。大学生のときにウェブコンテンツを配信する会社にインターンで行っていて、一言で翻訳できない言葉についてのウェブ記事を書いたんだそう。それがとても面白いということで、SNSでアメリカの出版社さんからオファーが来て、本を出しませんかって言われたらしいです。刊行された本を日本の出版社の人が見つけて、「これすごく面白いから翻訳したいんですけど、どう思いますか?」って私に相談してくれました。まさかこんな売れる本になるとは思いませんでした。

―『こいぬのミグルーだいかつやく』や、『翻訳できない世界のことば』では、絵の中の文字を新たに手書き文字にされていました。そのように、原書のデザインを翻訳する際に考えていることは何ですか。

 限られたスペースに入るように、訳を直すことはよくあります。ただ気をつけなければいけないことは、原文とすごく違う感じになってしまうのは良くないということです。スペースに合うように入れなければいけないというのは、手で書くときだけでなく、レイアウトソフトで文字を入れるときでもやっぱり同じです。文字をスペースに合わせることは普段から作業としてありますね。
 また、絵に合わせて文字をデザインすることもあります。例えば『翻訳できない世界のことば』では編集者さんと一緒に文字を何種類か書いて相談し、「袋文字」という二重線で書いた文字を入れました。

―AIを使った機械翻訳に頼ることなく、作品を人の手でやることについてどのようにお考えですか。

 今のAIは、たとえば「村上春樹さんみたいに訳して」と言えば、それっぽくやってくれる。翻訳じゃなくても「村上春樹風に書いてみて」と言ったら、バーッと出てくるわけですよ。でもそれは、村上春樹さんという生身の作家がいて、作られた文体があって、AIはそれをコピーしている状態です。AIが独自に無から何か生み出すところまではいっていないですよね。間違いも多いので盲信はすごく危険だと思います。どうしても無から何か生み出すっていう段階は、まだ人間の側にあるんじゃないかと感じています。
 ただ、スタートとしての参考に、AI翻訳は私も使います。和文英訳の場合、簡潔な内容の文は割と上手いなって思うときもありますが、やっぱりニュアンスが複雑になるほど、違和感が出ます。やはり言葉から感じるコンテクストが何かは、人によって違うと思うんです。例えるなら、みんなの心は独房みたいな閉ざされたところにいて、言葉というのは独房のドアに開いた小さな覗き窓だと感じることがあって。外の世界へは覗き窓を通してコミュニケーションするんだけど、覗き窓の向こうの世界に何があるか、つまり自分や相手の心の中にどういった印象とか気持ちとか歴史とかがあるかは本当に一人一人違うんです。だから同じ言葉を使っても、違うことを考えている可能性もあるんですよね。それをAIは単純に置き換えるわけですが、そういうことも全部含めて考えていくのが、やっぱり人間じゃないかなと今は思っています。

―AIを使って、英文を直訳した日本語と、前田様が完成された翻訳文でどのような違いがあると思いますか。

 本当に全然違いますよ。AIもよくできているから、原文が論理的であればあるほど、違和感のない文章が出てきます。だから技術書やマニュアルなど、論理的で用語が決まっているようなものは、AIでほとんどできてしまう時代になっていると思います。自分の著作の中に『えほん般若心経』とか『えほん観音さま』などの仏教系の絵本があって、英文テキストを載せてるんですね。最初にAIに詩的な本文を翻訳させてみるんですが、全く使い物にならないんです。一方、あとがきはそれなりに論理的な散文なので、そこそこ大丈夫。ネイティブの人に見せるとすべて書き直しとかにはなりますけれども、日本人的にはふつうに読める。やはり詩的な文章は、人間の表現なんでしょうね。

―他の方が翻訳した本を読むときに、どのようなところに注目されていますか。

 絵本に限らず、いろんな翻訳されたものを読むときに、基本的に原書は読んでいない状態が多いわけです。どんなふうに翻訳したのかわかるのは、例えば自分が大学のときに読んだことがあったり、特に好きでライフワークのように読み続けていたりするものです。具体的には、私の著作の中でも絵をつけて紹介しているアメリカのエミリー・ディキンソンという人の詩があります。原文を知っているものに関しては、他の方の訳を見ると「ここはこう訳されているのか」とか「自分だったらここはどうするかな」とかはよく考えますね。私も翻訳は手探りの状態なので、原文を知らない絵本でも、翻訳の過程を想像することはあります。

―他の方の翻訳を読んだ中で、これは名翻訳だと思った作品はありますか。

 まず、村上春樹さんが翻訳された『心臓を貫かれて』はご存知ですか。マイケル・ギルモアという人が書いたドキュメンタリーで、ご自身のお兄さんが、殺人を犯して死刑になるという実話です。そういうことが起きてしまうにあたって、家族のいろんな問題を深く掘り下げている本で、非常に厳しい内容になっています。私は熱心な村上春樹ファンという程ではないんですが、『心臓を貫かれて』を読んだ時は、すごいなと思いましたね。かなりのボリュームでつらい内容ですが、リズム感や日本語として自然なことば選びのおかげで、すらすらと読めてしまいます。文章や翻訳の極意のようなものを感じ、私にとって、村上春樹さんの作品の中でも一番すごい本は『心臓を貫かれて』の訳です。
 それからもう一人、英文学でとても尊敬している方は、村上さんとよく一緒に活動されている柴田元幸さんです。東大の英文学の先生で、翻訳教室もされています。とにかく原文の持ち味をそのまま日本語に置き換えるという、職人技のような訳をされています。レベッカ・ブラウンという作家の著作に、少女特有の世界をとても詩的な文章で綴る小説があるんです。学校を舞台にした、不思議で居心地の悪い、何か冷たいようで繊細な雰囲気のある原文を、見事に日本語に置き換えていらっしゃいます。その技のたるやすごいなと思っています。

―翻訳版を日本で受け入れやすい形にするために、どのような工夫をしていますか。

 英語と日本語はところどころじゃなくて本当に違うんです。それぞれの言語にある単語と構文で考えているわけだから、思考回路が違うわけですよね。だから、英語で書かれているものを単純に日本語に置き換えることはできない気がします。でも、トータルでは同じようなことを考えられるようにと思ってやっています。
 翻訳書というのは、多くの場合原書が出版される前に翻訳版を出す出版社が決まるものなのですが、『翻訳できない世界のことば』は、本国で本が出版されても、翻訳をする話が持ち上がっていませんでした。目の付けどころがすごく新鮮なんだけど、若く「無名の」著者が初めて出す本で「少し頭の固い大人はみんなスルーしてしまった」という状態。それを、著者よりほんの数歳しか違わない、20代半ばだった若い女性編集者が発見しました。その方に翻訳についてご相談いただいて読んだ瞬間に、切り口がとても面白いなと思ったんです。それに、感覚がものすごく研ぎ澄まされているのが伝わる。大人はずるくて、汚れて、俗っぽいって感じていそう。英文学で言うと、カート・ヴォネガットとか、『ライ畑でつかまえて』のJ・D・サリンジャーとか。とにかく青春の匂いがするの。それは素晴らしいことですが、反面、ところどころ、その年代ならではの棘を感じました。私もそれは自分に深く覚えがあるし、大好きです。けれども日本語版の編集者としては、小学校の高学年くらいの子にも届くような本にしたいって言ってるわけね。それを聞くと、やっぱり原文のニュアンスに忠実な技をめざすよりも、自分が普段やっている児童書の考え方を生かした、わかりやすく「優しい」伝え方をする方がいいと思いました。ちょっとヒリヒリとした若いがゆえの痛みを感じるような文体も、文学的には私は好きだけれども、少し変えた箇所があります。繊細な少女がピリピリとした気持ちの中で書いているものを、お母さんぐらいの年のおばさんがやってきて、「まあまあそんな言い方しなくても、このぐらいにしたら。」となだめるみたいにちょっと柔らかくしました。もしよかったら原文と読み比べてみてください。原文を読んで英語圏の人が感じる印象よりも日本語の方が柔らかい印象になっていると思います。工夫について一言で言うなら「どういう読者に届けるか」を考えるということです。

―擬音語や擬態語はどのように訳していますか。

 とにかく日本語で自然に聞こえるようにするのが大事です。例えば鳥や犬の鳴き声を訳すときも、「ワンワン」とか「ピーピー」とか、日本語で違和感のないようにしないといけないと思っています。実は擬音語や擬態語って日本語のほうが多いんですよね。基本的には日本語で対応するように訳しています。英語ではオノマトペじゃなくても、日本語では前述の「おはなすりすり」みたいに訳すこともあります。その方が、特に読者が低年齢層のときは伝わるかなと思うので。

―英語と日本語の単語の意味が一対一で対応していないときは、どのように翻訳をされていますか。

 すごくよくあることですよね。まさにそれが、『翻訳できない世界のことば』という本のコンセプトです。逐語訳で訳すと、日本語としてすごく不自然になることは常にあります。だから私の翻訳でも、単語と単語の意味が一対一で対応するみたいなことは、なかなかできないです。一個一個の思考を論理的に組み立てていくことは大事ですが、思考のパーツを理屈で組んでいくだけでは、辻褄が合わなくなる領域がある、という「ゲーデルの不完全性定理」というのが数学の世界にあります。ある程度の塊で考えて、俯瞰して把握し、置き換えることが大事だと思います。

―『だいすきだよ おつきさまにとどくほど』の翻訳では‟love”という単語を「だいすき」という以外にも「うれしい」「たのしい」「なかよし」と訳されていましたが、なぜ「だいすき」だけにしなかったのでしょうか。

 それは全体の流れを自然にするためです。‟I love you”は英語ではポピュラーな表現で、いろんな場面で使います。そのため、‟I love you”に対応する日本語はいっぱいあるわけです。「君を愛してる」というだけではありません。親が子どもにそんなこと言わないでしょ。言うなら「だいすきだよ」「かわいいね」とかだと思うんです。でも大人同士の恋愛感情だとそういうふうに言ったりもする。いろんな場面によって、‟I love you”の意味は少し変わるので、状況に応じて訳しています。文章が少ないからすごい楽だろうと思われるかもしれないですが、何度もやり直して推敲を重ねます。意外と難しいんです。どうすれば赤ちゃんの心に入るかはとても考えましたね。

―翻訳をされる中で気づいた、英語話者と日本語話者のものの見方の違いを教えてください。

 私は大学に入って、英語を後天的に学びました。最初は本当に英語が全くわかりませんでしたが、学習して、日本語ができない英語圏の人とコミュニケーションがはじめてできたときがありました。そのとき、別の次元のドアが開いたかのように感じたのを覚えています。やっぱり思考回路や価値観が違うので、同じものを見ているようでも、見えているものは少し違うかも、と感じることはあります。例えば、日本語はニュアンスでものを言うようなところがあって、割と曖昧なんですよね。一方で、ヨーロッパ系の言語は一つずつ言葉の定義を明らかにしながら進む感じで、論理的にできているんです。厳密に定義をしながら理屈を組み立てていくのは、ヨーロッパ系の言語と思考方法の大きな特徴なのではないかと思います。あとはサンスクリット語になると、日本語にはない、「宇宙のすべての、または根源の音」という意味の言葉があるなど、そういう世界観の違いもありますね。本当に言語によって、人間の心の中の世界は変わっているんだなと感じます。だけど、同じ人間だから共有してる部分もあるわけで、だからやりとりができるんだろうと思うんです。

―英語で読んで英語で理解することと、日本語で翻訳されたものを日本語で理解することとの違いについて、どのようにお考えでしょうか。

 結構違いがあると思います。例えば家に英語圏のネイティブのお友達が来て、一週間とか泊まるときがあるんですが、そうするとずっと英語で喋ってるわけですよね。そういう状態で急に日本語に戻ろうとするとすごく苦しかったりとか、逆ももちろんあるわけなんですが、本当になんだか違いますね。たぶん使っている脳の部位がちょっと違うんだと思います。
 大人になってから数学の本を読むのがすごく好きになって、『すうがくさんぽ』(あすなろ書房)という本を書いたんです。高校ぐらいまでは数学は好きだという意識は持っていなかったけど、違う見方で見ると実は面白いということに気がついて。ただ、明治以後に漢字で翻訳された数学用語がやけに難しくて、親しみがない言葉が多いんですよ。数学の内容を日本語で読むとよくわからないのに、英語で読むと意外とわかることが結構ありました。理系の内容は、英語のほうが単語が簡単で日常的な語が使われ、構文もシンプルです。中学生くらいの英語力で十分なんですね。文学的表現がないから、対応する用語がわかれば内容はすんなり理解できる。また、日本語には漢字という表意文字、字を見たら意味を想像できる文字が含まれていて、非常に重層的というか、立体的に感じるんです。英語のアルファベットは二十六文字のみで、その並べ替えでいろんなことを語るので、電子書籍で英語の本を読んでいると、記号の羅列を眺めている気分に陥ることがあります。日本語の場合、音で聞いても、その漢字を想像したりするわけですよね。漢字が含まれていることで情景がわかる面があり、絵的で豊かだと感じています。

―翻訳されたものを日本人にとって受け入れやすいものにすることと、原文の意味をそのまま読者に伝えることは、どのようにバランスをとっていらっしゃいますか。

 とっても難しいことですよ。原書がある以上、原文の意味は変えられないです。変えられるのはその表し方ですね。正直言って私も手探りの状態です。誤訳になってはいけないとは思いますが、どう見ても原文と対応していないような文にせざるを得ないと判断する時はあります。最初に言った「おはなすりすり」みたいな感じで、読者がどういう人か考えて届ける。でも逐語訳にこだわる方にとっては、おかしいと感じることもあるかもしれません。私は割と読者に合わせて表現を変えることを自分に許している翻訳者だと思います。だから、もし「だいぶ違うじゃない」って言われたら、自分の責任です、とお答えします。でも、職人技で元の雰囲気をそのままに出すことに優れた柴田先生のような方もいらっしゃいます。ジャンルは違いますが、いつも尊敬しています。

―原文から日本語に訳す際に、どうしても翻訳できないものはありますか。

 私が翻訳した『100年の旅』という本にいい例が載っています。これはドイツの本で、それぞれの年齢のときに何を思ったかが書かれています。例えば十二歳のときは「お父さんとお母さんより上手にできることがある」とか、二十一歳だったら「本当にこんな小さな部屋で育ったのかな」で、これが百歳までいくわけですよ。十歳のところでは、いろんなことを学校で勉強してるよみたいな内容に続き、「でも人間は同じ人間に対し、恐ろしいまでに酷いことをしたことがある」という文が出てきます。ここは原文の直訳では「アウシュヴィッツのようなことがある」となっていました。ドイツでは、小学校でみんなアウシュヴィッツについて習うそうです。人間が人間に対して酷いことをすることの象徴がアウシュヴィッツなわけです。けれども、では、日本でその象徴がアウシュヴィッツでいいのかということを考えました。いろいろあるけれど、十歳の子どもにとってアウシュヴィッツは思いつかないかもしれないと。本の読者が大人だったとしても、それは少し遠い場所の歴史でもあり、知識としては知っていても象徴として1つに絞るのには違うかなと考えました。ドイツではアウシュヴィッツと一言で言えば済むことを、「人間は同じ人間に対し、恐ろしいまでに酷いことをしたことがある」っていう言葉に私が変えたんですよね。こんなことを訳ですることはそんなに多くはないですが、たまにあります。読者に自然に受け入れてもらいたいので、いろいろ考えます。

―翻訳の過程で変化が生じるとしても、ここだけは伝えたいというところはありますか。

 原文と翻訳文というのはトータルでは同じ内容を共有しますが、別の世界という部分があると思います。他の人が作ったものだから、自分が勝手に変えちゃいけないというのはもちろん思っていて。だから細かい表現とかは読者に合わせて変えたりしますが、そこに勝手な見解を自分で付け足すことはしません。誤訳になっちゃいますからね。ただ、わかりやすくするため、ほんの少し説明を補うということはあります。全体でその本が何を伝えようとしているのかが、一番大事です。そこから外れないようには絶対にします。

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