世の中には、抜本的な解決が難しいコンプレックスを抱いている人がいる。彼らは、生きている限り悩み続けなければならないのか?コンプレックスの捉え方を変えることはできないのだろうか?
今回お話を伺った神原由佳さんは、「アルビノ」という遺伝子疾患を抱えている。メラニン色素が少ないことから、肌や毛髪の色が薄いことに加えて、皮膚が紫外線に弱く視覚障害がある。そうした特徴による容姿の差別や身体的制限があり、周りの人とは異なる境遇で生きてきた。
そんな彼女は、SNSやマスメディアなど幅広い媒体で当事者の立場から発信を続けており、Webメディアwithnewsにて連載している『#アルビノ女子日記』は広く支持を得ている。
神原さんはこれまでの活動や人生を通して、どうコンプレックスと向き合ってきたのだろうか。
神原由佳:先天的にメラニン色素が欠乏する遺伝子疾患の「アルビノ(眼皮膚白皮症)」として生まれる。
現在はソーシャルワーカーとして働きながら、Webメディアwithnewsで『#アルビノ女子日記』を連載している。他にもSNSやマスメディアを用いて、幅広い媒体で当事者発信をしている。
——神原さんが連載をしている『アルビノ女子日記』について、始めた経緯を教えてください。
以前アルビノのことに関して取材を受けたことがあって、そのときの記者の方が私のnoteを見て「なにか書いてみない?」と声を掛けてくれたのがきっかけです。私は普段ソーシャルワーカーとして働いているので、それを生活のメインに据えつつ無理のない範囲で書くという形で発信を始めました。最初はすごく短期的な連載で終わる予定だったんですけど、始めてからもう一、二年近くになりますね。
——ソーシャルワーカーとはどんなお仕事なのでしょうか。
福祉の相談支援をする仕事です。精神保健福祉士という国家資格を持っていて、大学などで福祉や心理を学んでいた方が多いです。
——具体的にどういったことをなさっていますか。
私の場合は横浜市が独自でやっている事業の下で、地域に暮らしている精神疾患のある方の生活支援をしています。例えば、通院に同行したり、一緒に家計簿をつけたり、あとは、困りごとなどが理由で少し気持ちが落ちてしまった方にいろいろとお話を聞いたりすることもあります。
障がいがある方って、最近は障がい者雇用などの制度が整ってきて働けているイメージがあるかなと思うんですけど、実際は定期的に一つのところに通うのが難しい方もたくさんいるんです。それで引きこもり気味になって、気落ちして病気が悪くなっちゃう方もいるので、そういう方のためにフリースペースを提供しています。好きなときに来て好きなときに帰っていい居場所を作る手助けができたらいいなと思って働いています。
——ソーシャルワーカーとして働く上で、自分がアルビノであることが理由で困った経験はありますか。
利用者の方から嫌なことを言われるっていうのは意外となかったんですけど、やっぱり最初はドキドキしていました。中学や高校のときに、初対面の人から強く視線を感じたり、「どうしてそんな見た目なの?」って聞かれることもあったので、新しい環境に身を置くときは身構えてしまいますね
——アルビノを自分の中でコンプレックスだと認識したのはいつでしたか。
幼稚園の頃ぐらいから、自分の扱われ方が周りと違うときがあるなとはなんとなく思っていたんですけど、それが自分と周りの人の容姿が違うからだっていうことにはまだ結びついていなかった気がします。はっきり自分が人と違うって自覚したのは、小学生の頃に自画像を描いたときです。クレヨンの肌色は自分の肌色とは違うし、みんな髪の毛の色も黒とか茶色で描いているけど、自分だけ黒や茶色を使えなくて。手元にあるクレヨンの中で自分に一番近い色を考えると、黄色とか黄土色とか、周りと違う色なんだと感じたのを覚えています。授業で絵を描く取り組みは自分の中では結構しんどかったですね。しかも学校の教室って黒板の上にスペースがあって、自画像がそこに貼られるんですよ。それでどうしても視界に入ってしまうので嫌でした。でも嫌だとは言えなかったですね。
——学校の先生は神原さんにどのように接していたのでしょうか。
アルビノって視覚に軽度の障害があったり、日焼けが厳禁だったりするので、私がちゃんとノートをとれるような工夫ができないかとか、体育の授業をどうしたらいいかとかを考えてくれていました。どちらかといえば見た目より身体機能の方に注意を払ってくれていたのかもしれません。
——学生時代の思い出は、アルビノと結びついてしまう部分がありますか。
鏡を見ない限りは自分の姿って見えないじゃないですか。だから、別に四六時中アルビノでどうこう悩んでいるというわけではなかったです。友達と遊んだこととか、素直に楽しかったと思える時間もありますね。
アルビノであることを意識するのって、本当にふとした瞬間なんですよ。校内を歩いていたときに低学年の男の子に「それどうしたの?」と聞かれたことがあって。生まれつきだよって答えるのが精一杯で、その後保健室に駆け込んでめっちゃ泣いたっていうエピソードもありますね。
——中学・高校までは独特の息苦しさがあったと思いますが、大学になるとそれまでよりも自由度が増したと思います。そうした環境の変化によって、コンプレックスの捉え方は変わりましたか?
そうですね。大学に入ってすぐに気にならなくなりました。見た目に関する縛りがないので、髪色が派手でもそれがその人の個性ってだけで、周りから変な目で見られるわけではないじゃないですか。自分がやりたい外見の表現をしている人たちの中に入って認められたという気もしたし、正直ほっとしたという感じですかね、突出しなくて済んだというか。
——現在の活動において、大学時代の経験が活きていると感じる部分はありますか。
継続力ですかね。大学では、友人の誘いでバスケ部のマネージャーをしていました。試合中、選手が戻ってくるときにタオルと水を渡さなきゃいけないんですけど、視力が悪いせいで戻ってくる選手が誰なのか、どれが誰のタオルと水なのかが分からなくて。いつもハラハラしながら試合に臨んでいました。だからなかなか大変だったんですけど、途中で辞めてしまったら何もやらなかったのと同じになっちゃうと思ったんですよね。それは嫌だったので、四年間続けました。
当事者発信も続けないと意味がないかなと思っています。やっぱりこういう活動をしていると、多くの人の目に触れるメディアに出たときに、匿名のコメントで誹謗中傷だとかストレスになるようなことを書かれることがあるんですよ。そういう理不尽な誹謗中傷のせいで辛いこともありますが、細く長く発信を続けていって、同じ症状とか同じ悩みを抱える人のロールモデルになれたらいいなと思っています。
——活動の中で投げかけられる心無い言葉に対する捉え方は、発信を始めた頃と今とで変わりましたか。
慣れましたね。始めたばかりの頃は、夜ひとしきり泣いてから寝るみたいな感じだったんですけど、今はもう「いつものか」っていうくらいです。でもこれって良くないことで、皮膚もいっぱい傷を受けると厚くなってボコボコになりますよね。それと同じで、心も傷に強くなるともう元には戻らないと思うんですよね。だからこっちが誹謗中傷に慣れて強くなるのは、本当はいけないことだと思います。結局、そういう言葉が溢れ返るとそれに耐えられる当事者しか発信することができなくなるじゃないですか。実際に、そういうことが理由で、もう当事者発信はしないと言っている知人もいるくらいなんですよね。当事者発信は意義あることだと思うので、そうやって発信の場から退くことになってしまうのは本当にもったいないと感じてしまいます。より多くの当事者の方がストレスなく発信できるようになって欲しいですね。
——当事者発信をしていく中で、徐々に自分に自信がついたという感覚はありましたか。
そうですね、当事者発信を始めてから自信はつきましたね。ちょっとずつでしたけど、自分がどうして困っていたのかというのを言葉にできるようになったことは、一番の収穫かなと思っています。もちろん起きた出来事を説明するっていうのもそうですけど、それ以上にそのとき自分がどう思ったか、どう感じたかということまで言葉にできるようになってきているのかなと思います。そうやって執筆活動や取材していただくことを通して気持ちや考えを言語化することで、より自分と向き合うことができているなと感じますね。
——他にも、現在の活動を通して取り組んできてよかったと感じることはありますか。
人に何か伝えるようなことをライフワークにすることができて、たくさんの人と出会う機会を得られたことですね。そうやって出会う方たちから色々な刺激をもらうことも多いです。アルビノのことだけではなくて、仕事やプライベートのことも含めて、自分の考えについて知るきっかけになっているので、新しい発見があって楽しいです。
——活動に限らず、人と関わる中で、言われて嬉しかった言葉はありますか。
褒め言葉で、面白いねって言われるのはいいなと思っています。真剣に取り組んでることに対して面白いねって応援してくれる人もいるし、何かおどけたことを言ったときに面白いねって笑ってくれる人もいる。そういうときは、心の中で小さくガッツポーズをしちゃいます。それは、外見とか関係なく私のことを見てくれている気がするので、かわいいねとか綺麗だねとか言われるよりも嬉しいです。
——当事者発信の他にも、日本アルビニズムネットワークというアルビノの方の集いを企画する団体にスタッフとして参加されていますが、具体的にはどういった活動をしていらっしゃるのですか。
私は最近あんまり参加してないですけど、コロナの前、対面で活動できていた頃は、参加者同士で情報交換をしたりする交流会を数カ月に一回企画していました。そこにアルビノのお子さんがいる親御さんがいらっしゃったときに、自分の経験を活かして学校生活に関する相談を受けることもありました。
——参加者側ではなく、運営側として携わろうと思った理由やきっかけはありましたか。
スタッフになったのは大学院生の頃です。福祉の道を志している身で、何か社会貢献をしたくて始めたのがきっかけでした。その頃にはもうアルビノであるということへのコンプレックスは自分の中でほとんど解決されていたんですよね。
——「経験を生かして相談に乗る」というお話がありましたが、神原さんも自分が抱える悩みを自身のご家族に打ち明けるという経験はありましたか。
なかなか言えませんでした。一人っ子だったんですけど、家の中でも特にアルビノの話ってしなかったんですよね。してこなかったんです。小さいときは通院に付き添ってくれたり、「日焼け止め塗りなさい」とか「帽子被りなさい」とかそういうことを言われたりしていました。でも、アルビノがどういう病気だとか、あなたはアルビノなんだよみたいな話をされたことはないんです。それについて聞きたい気持ちもあったんですけど、今まで普通の親子として接してきてくれていたので聞けませんでした。「私ってどういう病気なの?」っていうのはセンシティブな質問じゃないですか。それを聞くことで、親がショックを受けてしまうのではないかなと思ってしまって。あと、アルビノであることを気にしているのを悟られたくない、それで心配をかけたくないという気持ちもありました。今まで通りの親子関係が壊れてしまう気がして、怖くて聞けなかったですね。
——ご両親にアルビノについて思っていることを伝えられずにいた中で、自身の気持ちをどう抱えていたのですか。
情報もなくて一人でずっとモヤモヤしていました。何がどうしてモヤモヤしているのかが言語化できない。言語化できないから伝えられないし、伝えられないから苦しい、みたいな感じでしたね。
学校に、カウンセラーの先生が常駐している場所があったんです。そこは重々しい雰囲気ではなくて、いろいろな子のたまり場みたいになっていました。今思えば、学校がしんどい子とかが自然と集まっていたのかなという気がします。言葉にはできないけど、そこに行くとなんとなくコロッと泣けたりしたんですよね。そこにいる先生やその周りにいる生徒って何も聞いてこないんです。でも泣いていたらティッシュを渡してくれたりして。
そのとき泣いている理由について聞かれていたら、どうしてモヤモヤしているのかをその頃からちゃんと言語化できるようになっていたかもしれないんですけど、当時は何も聞かれなかったのがすごく助かりました。
——誰かを思いやるときには相手のしてほしいことを理解することが必要ですよね。
そうですね、それはアルビノとか障がいそのものについても言えることだと思います。同じ悩みを抱える人でも、どういうふうに助けて欲しいとか、どういうふうに思って欲しいっていうのは人それぞれなので、配慮さえしてくれれば素直に喜べるかっていうとそういうわけじゃないと思います。「アルビノの人」という見方だけで配慮しても、その人の考えとか思いをないがしろにしてしまうことがあるんじゃないでしょうか。食い違いを生まないためには一人一人に寄り添った向き合い方が大切で、あくまでその人自身と向き合った上で、その人の要素のひとつとしてアルビノについて気を配ってあげられるといいなと思います。
——今、アルビノであることをどう捉えていますか。
自分の中では別にアルビノは前向きでも後ろ向きでもなくて。個性でも武器でもないけど、今のところコンプレックスでもないみたいな感じです。世の中にはなんとなく、コンプレックスは乗り越えた方がいい、ポジティブに向き合った方がいいみたいな空気があると思います。でも、それはそれで窮屈だなと思っていて。
もっと自分の中で揺らぎながら生きていていいと思うんですよね。自分のことを大好きだとは思わないけど、今日はまあいいかなって思えることもあるし、今日はあんまり良くない、嫌いかもみたいに思うこともある。そうやって自分の中に揺れがあるっていうことを許容できたことで、私はすごく楽になりました。別に自分を大好きになる必要はないですし。
——コンプレックスだとは捉えていないんですね。
今はそうですね。小学校とか中学校の頃は周りと違うというのが一番のコンプレックスで、できればみんなと同じように、普通になりたいなって思っていました。でも、今はもうアルビノでない自分になりたいっていう感情はないです。
ただ、この先どうなるかは分からないという気持ちはあるんですよね。これから人にすごく酷いことを言われて「私なんてやっぱり嫌いだ」って思うかもしれない。ちょっとネガティブに聞こえるかもしれないけど、いつかまたアルビノのことが辛くなったり、恨めしくなったりすることもなくはないかなと考えていて、心の準備はしています。
——迷いや気持ちの揺らぎを受け入れるという神原さんの態度は、ご自身の当事者発信の内容にも反映されていますよね。そういった内容が、アルビノでない方も含めたくさんの人から支持を得ている理由のひとつだと感じました。
そうかもしれないですね。たしかに、外見のことで自分を好きになったり、嫌いになったり、私がそうした葛藤を繰り返しているというところを開示したいという気持ちがあります。私自身、他の方の当事者発信を見たときに「困難を乗り越えた人」というような切り口の記事にあまり共感が持てなかったし、むしろ凹んだこともあったんですよね。実際の自分との距離が遠くならないように、起きた事実は正確に伝えつつ、その時どう思ったかの主語はありのままの「私」であるように意識しています。
——最後に、神原さんの今後の活動の目標について教えてください。
当事者発信は細く長く続けていきたいですね。これから先の人生で、いいこともあるだろうし、モヤモヤすることとか嫌な思いをすることもあると思います。そのときそのときの当事者としての自分を発信していけたらいいなと考えています。