早稲田大学公認のメディアサークル 早稲田リンクスのOB・OGから、当時の活動内容を振り返りながら、リンクスで経験したこと、リンクスが自身に与えた影響について聞くインタビュー企画。お話を伺ったのはリンクスの3代目幹事長で、株式会社メルカリの創業者にして代表取締役社長 CEOを務める山田進太郎さん。
インタビューでは、「リンクスでの活動を通して、仲間と一つのものを作り上げる面白さに目覚めた」と語ってくれた山田さん。そんな山田さんから、リンクスに入ったきっかけ、リンクスでの経験、リンクスが今の仕事に与えた影響などをたっぷり伺った。
リンクスと出会い早稲田生向け情報サイトの運営に携わる
ーーまずはリンクスに入ったきっかけを教えてください。
友達に誘われたのがきっかけですね。
私が大学に入ったのが1996年で、当時はネットスケープナビゲーターという元祖ブラウザーが生まれて、Windows95も発表されたばかりでまさにインターネット黎明期だったんです。
私もオタク気質でインターネットを触ってホームページとか作っていたんですよ。
そもそも携帯を持っている人が結構レアという時代に、インターネットを活用して情報発信することに面白さを感じましたね。
ーーリンクスに入る前からご自身でホームページの制作をされていたんですね。
そうですね。自分でファイルをアップロードしたりHTMLを書いたりしてホームページを作っていました。
ただ、プログラミングはできなかったですね。でもリンクスへ行けば、プログラミングをやっている理工学部の人もいたので、色々教えてもらっていました。
ーー現在リンクスはウェブ・フリーペーパー・イベントを軸に活動しているのですが、山田さんがいた頃はどのような活動をしていましたか?
私の時は完全にウェブでした。「早稲田リンクス」というサイトを作って、休講情報などを載せていました。
当時、どの授業が休みかという情報は、大学構内の掲示板に張り出されていたんです。そこで、みんなで手分けして各学部の掲示板を回り、休講情報をホームページに掲載することで、わざわざ大学まで行かなくても情報が得られるようにしました。
そうすると、みんなリンクスのサイトを見るようになり、早稲田生なら誰でも知っているようなサイトになっていました。
また、「早稲田ウォーカー」というウェブマガジンを運営していました。例えば「わせ弁」や「三品食堂」に突撃リポートしたり、ワセジョをピックアップしてインタビューをしたりしていましたね。
他にも、演劇サークルなどの公演情報を集約するサイトや、教科書や参考書を学生同士で売買できるサービスなどを展開していました。
ーーなるほど、たくさんコンテンツがあったんですね。それをどのようにして早稲田生に広めていったのでしょうか?
授業が始まる前に、チラシを教室の机に撒いていたんです。
早稲田リンクスというサイトを作りました、休講情報あります、わせ弁の特集しました、演劇の情報ありますという内容で、数百人規模の巨大授業を狙って配っていました。
ーー活動資金はどうやって工面されていたのですか?
バナー広告をリンクスのウェブサイトに掲載して収入を得ていました。半期で50万円ぐらいの収入がありましたね。
近くの居酒屋とか生協とか、あと今でいう新卒採用とかの広告です。値段を決めて、渉外部が売って、デザインも私たちが手掛けていました。
幹事長となって組織改革を進める
ーー山田さんはどのような経緯でリンクスの幹事長になったのでしょうか?
私が2年生の秋頃に、2代目の先輩方が就職活動に入るということで、早めに代替わりをすることになりました。
私は小中高とリーダーシップをとった経験がなく、幹事長になろうとは思っていませんでした。ですが、「代表やるなら進太郎がいいよね」と、同期たちから勧められ、幹事長になりました。
ーー幹事長としてどのようなサークルを目指しましたか?
インターネットを使って先進的なことをやりたいよねといって始まったのがリンクスなんですよね。メディアのなかでも、新聞や雑誌ではなくインターネットを活用したいという思いがありました。
なので、いろいろなことにチャレンジできる環境を心がけていましたね。
サークルって色々な人がいて濃淡があるじゃないですか。別のサークルと兼任してる人もいるし、バイトで忙しい人もいるし。
だから、それぞれの人が自分のやりたいことを、やりたい密度でできる仕組みにしていました。自由で牧歌的な雰囲気の中でみんな楽しんでやっていましたね。
その甲斐もあって、私が代替わりした時に私の同期が15人ぐらいいたんですけど、最後まで一人も辞めなかったんですよ。それは良かったなと思っています。
ーー当時のサークルの雰囲気はどのようなものでしたか?
先輩の代から牧歌的な和気あいあいとした雰囲気が引き継がれていて、そういう居場所を求めて入ってきた人も多かったです。
ですが、週に1回行なうミーティングには全員参加必須と決めるなどして、私の代から組織としての在り方を模索していきました。
ーー山田さんの代で組織改革が進んだんですね。どういったことに取り組みましたか?
活動内容をまとめた資料や、議事録、会計の報告書などのドキュメントがそれまでなかったので、私の時から作るようにしましたね。
メンバーの役割、組織図、進行中のプロジェクト、収支などをきちんと記録していました。
ーーきちんと組織として運営していく場合、メリハリが必要ですよね。そんな中でも雰囲気の良いサークルであり続けられた要因はなんだと思いますか?
やっぱり勢いがあったことが大きかったと思います。
当時はインターネットが普及してきたタイミングで、その波に乗って新しいことをやっているということもあり、活気がありました。
創設時と比べてメンバーも増えてきて、人気も出てきていて、それが勢いに繋がってたと思います。
ーーそれぞれのメンバーが意欲的にコンテンツ制作に取り組めた秘訣はなんだと思いますか?
どのメンバーもインターネットを使って、新しいことをやりたいと思って入ってきています。
例えば「早稲田ウォーカー」を見て自分も面白い記事を書きたいなとか、演劇が好きだから演劇の情報を集めて閲覧できるようにしたいなとか、新しいサービスを始めたいだとか。
人によってやりたいことは全然違うと思いますが、その人たちがモチベーション高く活動できる環境を作れていたのがよかったと思います。
リンクスでの経験が今のビジネスに繋がっている
ーーリンクスでは様々な経験をされたと思いますが、特にやりがいを感じたことは何ですか?
組織としての仕組みを作って、みんながやりたいことを楽しめる環境を作れたことですね。
どうサークルを盛り上げるか考えた結果、みんなが主体的に活動してくれました。
いい記事を出せば、それが話題になって、じゃあ次はどうしようかという企画会議をやる。そのフィードバックループがしっかりしていたのが良かったと思います。
自分たちの作ったコンテンツを見てくれる人が増えていくのはやっぱり楽しかったですよね。
サークルってわりと内向きじゃないですか。でもリンクスの場合、毎日1000人とか2000人とかの人がサイトを見に来てくれていたんです。
インターネットは利用者の反応がダイレクトにわかるので、新しいことをやって結果が返ってきて、またみんながそれに対してモチベーション高く活動してくれて、それがまた結果になるみたいな、そういうサイクルが作れたと思います。
ーーリンクスでの経験は大学卒業後の生活や今の仕事にどう生きているとお考えでしょうか?
初めて組織でリーダーの経験をしたのですが、本当に経験して良かったです。
サークルのメンバーはお金で集まっているわけではないので、その中でどうやって楽しくやるかとか、どうやって結果を出すかとか、考えて実行するのは今にもすごく通じているんじゃないかなと思います。
あとはやっぱり、みんなでやるという面白さが知れたというのが一番大きい気はします。私は、自分で何でもやりたいタイプなので、リンクスでの経験がなかったら自分ひとりで何かをつくる方向に進んでいた可能性はあります。
ーー最後に、学生へメッセージをお願いします。
やりたいことは全部手を付けてみるといいと思います。そうして、本当にやりたいことが見つかれば、それが仕事になるかもしれません。
私はインターネット上のサービスを作るのが好きで、リンクスの活動にも夢中になりました。とはいえ、インターネットよりも面白いことがあるんじゃないかと思い、大学卒業後はリノベーションや飲食に挑戦しようという時期もありました。
でも、やっぱり違うなと感じ、学生時代を振り返ってみると、本当にやりたいことはインターネット・サービスを作ることだったんだと気づきました。以来、インターネットへの興味を追求し続け、今に至ります。
私が本当にやりたいことを見つけるまでには、いろいろな可能性がありましたから、皆さんも興味のあること、面白いと思ったことは何でもやってみるといいと思います。そうすることで、本当にやりたいことが見つかるはずです。
株式会社メルカリ
代表取締役 CEO
山田進太郎
早稲田大学卒業後、ウノウ設立。「映画生活」「フォト蔵」「まちつく!」などのインターネット・サービスを立ち上げる。2010年、ウノウをZyngaに売却。2012年退社後、世界一周を経て、2013年2月、株式会社メルカリを創業。
撮影=諸橋裕一郎、インタビュー・文=田中晴喜