「菓子」の「道」と書いて『菓道』。日本に古くから存在する、茶道や華道、武道に加えて新たな『道』を創造し独自の流派である『菓道一菓流』を開いた、和菓子職人、三堀純一。彼の持つ和菓子作りにおける哲学、国内外を問わず人気を誇るパフォーマンスについてのお話を通して、食べ物を「飾る」こと、食べ物を「魅せる」ことについてお話を伺った。
三堀 純一(みつぼり じゅんいち):1974年生まれ。神奈川県横須賀市出身。衣笠商店街に店を構える和菓子司いづみやの三代目当主。1995年東京製菓学校の和菓子本科卒業。「練切造形の世界」を「茶道」のように、おもてなしの精神を持って創作し振舞う「菓道」を提唱し、「菓道 一菓流」を開祖。TVチャンピオンR〔和洋菓子職人選手権〕優勝を期に様々なメディアに取り上げられ、現在は主に海外での和菓子の作り方や、菓道における所作や理念指導にあたる。
菓道一菓流とは
—— ”菓道”をどのような経緯で確立されたのでしょうか。
僕はいつも普通の形で和菓子を皆さんにお伝えしようとはしていなくて。
『菓道家』という肩書きで、和菓子をひとつのアートとしてご紹介するという活動をしています。
今、地域の和菓子店はコンビニに市場を取られて、どんどん閉めていっているんです。これからも多分減っていく。
そういった中で「どうやって和菓子の魅力を知ってもらうか」と考えた時に、和菓子業界の中に指針となる見えやすくてわかりやすいカリスマが、老舗の暖簾しかなかったんです。
—— 洋菓子はその点異なるのでしょうか。
和菓子の売り方は暖簾です。だからブランドが先行する。
でも洋菓子の世界は、個が先行するので、カリスマが見えやすい。ヨーロッパに行ってもブランドの名前ってそのパティシエの名前ですよね。ピエール・エルメとか。
パティシエの世界って個人で売っているんです。
個人のキャラクターが明確に見えるので、個人が見えるということは個人の人間性や哲学が見えやすいので、子どもの憧れの対象になりやすいんです。
歴史の深い和菓子の各ブランドが「和菓子とはこうだ」というそれぞれの哲学を持っています。
その中で僕にも僕の哲学があるんですね。「『菓道一菓流』では正しくはこうです」って。
ただし、和菓子はコンビニのスイーツも何でもアリだって、許せる寛容さがないと人なんてついて来ないので「どうやってあんこを楽しんでもいいですよ。和菓子はなんでもありですよ」ということは大きな声で言っておきたい。
他のお菓子を否定するつもりはないんです。
ただ自分のこだわりは明確に示したい。
つまりこの『菓道一菓流』って何?って言ったらただの私の哲学です。
マイスタイル。
世界への挑戦
—— そのように和菓子において確立したご自身の哲学を、世界に伝達したいという思いも強かったのでしょうか。
僕が海外を意識した最大のきっかけはここ、衣笠商店街なんです。
どんどん高齢化が進んで子どもが少なくなっていく中で会社を大きくしていくためには、スタッフが必要ですよね。
特にお菓子は製造業だから、お菓子を売る人だけじゃなくて作る人もいないといけない。
でもこの作る人っていうのは誰でもいいわけじゃないんです。やっぱりこだわりを持って作らないといけない。
そういった時に、そもそも和菓子に興味を持っている若者が少ないという壁にぶつかったんです。
製菓学校に行っても、洋菓子学科の方は人材選びたい放題。和菓子学科の方は「パティシエは厳しそうだから」とか「家が和菓子屋だから」とか。
同じお菓子職人を目指すのでも、洋菓子を目指して入ってくる人材と和菓子を目指して入ってくる人材とで、そもそものモチベーションが違うんですよね。
これは、このまま会社が膨らんだとしても、結局「和菓子じゃなくなるな」と思ったんです。
行く末がこうなった時に「和菓子を残したい」と言うようなオタクを作らなければいけない。
「じゃあどうしよう」となった時に、まずは、ヨーロッパ人を口説かなきゃダメだと思って。多くの国民が自国のカルチャーに疎いんです。
自分の国のことだから、外国人ほど詳しく知ろうとはしない。でも日本でも日本文化ってはねるじゃない。
浮世絵とか春画とか。ああいうのはヨーロッパからの逆輸入なんですよ。
ヨーロッパ人がクールだって言うと、日本人もクールだっていう。
だからまずはヨーロッパ人を口説かなきゃと思ったんです。
—— そこで本場の「サロン・デュ・ショコラ」に挑戦されたのですか。
そうそう。俺はまずいきなり「パリに挑戦したい」って言ったんです。
だからパリにコネクションがある人に相談したら「パリには呼ばれるまで来ちゃダメだ」って言われたんです。
アジア人がヨーロッパ人、ましてフランス人に「素晴らしいから見てください」って言ったってまともに見るフランス人がいないからなんです。
だから「フランスに行って挑戦したいんだったら、フランス人が『あなたが見たいんです』って呼ぶまで、お前はまずアジアで暴れなさい」って言われたんですよ。だから偏東風に行けと。
その時はまず香港から始まったんですけど、バンコクで毎年ワークショップをやるようになったら、そのバンコクの2年目ぐらいに初めてフランスのサロン・デュ・ショコラから声がかかるんです。
だから最初の質問に戻ると、私がなぜ世界を求めたかというと、ヨーロッパ人の評価ももちろん欲しかったけど、なぜヨーロッパ人の評価が欲しかったのかというと、日本の若者に興味を持ってもらうためだったんです。
唯一無二であること
—— 三堀さんはSNSを効果的に利用されているかと思いますが、自分に興味を持ってもらうという点で、SNSの力は大きかったのでしょうか。
初めはすごくお世話になりました。
インスタが育ててくれたと言っても過言じゃないと思う。3年半ぐらい毎日更新していたんです。
それは自分の成長の糧にもなったし後悔のない3年半だったけど、途中で気づくんです、SNSの意味の無さに。いいね!とかフォロワーの数が対価じゃないんです。
結局僕が狙っているターゲットってすごくピンポイントな層なんです。
発信力のある人に評価をしてもらわないと意味がない。
上質を知る、本当のセレブみたいな人のいいね! とかフォローとかが必要なんです。
そうなってきた時に、多くに知られている意味がないんです。
世の中の金持ちってみんなが知らないものが知りたいんです。
だから広まりきっているものには興味がない。彼らが求めているのはナンバーワンじゃなくてオンリーワン。
唯一無二のものを探しているので、自分がここでひたすらに唯一無二であることが重要であって、それはSNSでフォロワーが沢山いるとかいいね!がいっぱい付くとはノットイコールなんです。
それに気づいたのがハイブランドのVIPのお客様を対象にしたイベントで、その人たちが「あなたにお願いするときにはどうしたらいいの?」って尋ねてきた時です。
そういう人達はFacebookにしてもインスタにしても一切やっていないですね。
そういう人たちはそういうツールでは見ていないんです。
だからSNSは僕にとってより大衆的で大衆認知の結果であって、本質の評価がその数値に明確に出ているかと言うと、それは違いますね。
そして僕に仕事をくれる人達が、そういうのものを見ていないという事実もある。
そういう意味で昔ほどSNSに依存はしなくなりましたね。
—— 現在、SNSに踊らされ、「インスタ映え」を狙うグルメに人が集まる印象がありますが、三堀さんご自身はそういった大衆商品に関してどのように感じていらっしゃいますか。
それもありだと思う。
ありだと思うけど、武器に例えるならSNSでバンバンやってる人達が使っている武器っていうのはマシンガンなんだよね。
あんまり殺傷能力は高くないけど、とりあえず打ち続けるみたいな。当たったとしても即死はしないんですよ。
だけど自分が目指しているものは唯一無二だから、1発しか撃てないけど確実に殺すライフル。
その質の違いですよね。どちらが正しいとかはないと思う。
—— 手段はそれぞれなのですね。
うんそうだね。どちらかというと俺の方がハイリスクだよね。
半分以上が運だから。
だけど運も自分で引き寄せるものだからね。種まきをしておかないと、やっぱりその運も巡ってこない。
見えないところでどういうアクションをするかだと思います。
それが俺にとっては最近はもうお菓子作りじゃなくなってきた感じがしますね。
最近全然お菓子作ってないもん。写真ばっかり。
—— 写真ですか…!どうして写真なのですか。
やっぱり、この写真というものの広告能力が一番でかいよね。
目から飛び込んでくる情報の印象度が何にも勝るというか。
今は動画時代で、印象に残る動画ってあるけど、やっぱり動画は記憶に残る率で言ったら写真には敵わない。
自分のパフォーマンスもやっぱり光と影の演出なので。
光とかライティングを勉強していくとやっぱり写真になってくる。
魅せて感じさせる技術
—— 和菓子と写真の二刀流なのですね。
やっぱり自分が持っている技を2つ3つ掛け合わせて、「これが三堀純一だ!」みたいなオンリーワンができるというか。
私にとってはメインの刀が和菓子だったら小刀がカメラみたいなものですかね。
あと、俺、自分と同世代の和菓子職人たちが有名店で修業に歩き回っていた頃、ずっと本気でプロのミュージシャンになろうと思って、人の目の前でエンターテイメントを披露するということを10年以上やっていたんです。
そういうことが、今の魅せ方に生かせていると思う。お菓子を器用にチョキチョキできることではないです。
これは俺より上手い人がいっぱいいるから、これだけで勝負はとてもじゃないけどできない。
やっぱり付加価値が大事なんだね。
人から見たら、和菓子に模様を施すことが最大の武器みたいに見えていると思うけど実はこれはそうでもない。
「個」を成立して行く上でも、スキルをちゃんと融合できるスキル、魅せて感じさせる技術が大事だよね。
—— 写真における光や影、パフォーマンス会場での場の集中を高めることなど、和菓子を取り巻く様々な要因で、和菓子を「飾」っているのでしょうか。
僕はInstagramを毎日更新していた時に気をつけていたことがあって、それは和菓子を美味しそうに撮らないということです。
美味しそうな写真というのはシズル感があるんですよね。「温かそう」とか「陽」の世界なんです。
だけど和菓子が美しく見えるのは「陰」の世界なんです。
和菓子が持つ独特な緊張感みたいなものは、静けさというか。
それは美味しそうに見えるシズル感とか暖色系ではなくて、寒色系で冷ややかで緊張感のある「陰」の世界。
だからそれも、陰陽として美しくして、綺麗な影を撮りたいと思ったら、綺麗な光を作らなければ綺麗な影は撮れないんです。
僕はパフォーマンスの時に、両脇を広げたり、お菓子を上にあげたりするんですが、そういった時の陰影をアップのクロスライトでやると、僕の背中に、僕の腕を上げた時の影が、ブワっとなるんです。
そうすると、僕の後ろにブワッと羽が生えたように影が付くんです。
腕を動かすだけで、その羽がグニャングニャン動くから影絵としても面白い動きになる。
そういう演出をしたりしている。
『飾る』こと
—— 三堀さんにとって「飾る」とは。
「飾る」意味だね。随分前のテレビ番組で、ソロモン諸島という所に行ったんです。『菓道家』と活動する前です。
そのソロモン諸島って、チョー発展途上国で。
私が行った時もまだ自治の安全がちゃんと担保されていないような時期で。
裸足でジャングルの中で生活をしてるような人たちに、日本の文化を伝えに行こうみたいな企画で行くんですよ。
彼らの食事は、生き抜くための燃料なので、我先にの早いもの勝ちなんです。生きるために必死な行為だから、とてもじゃないけど「飾る」なんてことは程遠い。
調理をするということが、もうキョトンなんです。
私たちは調理をする、食べ物を彩るという知識があるので、その行為に対して「美味しそう」と思うけど、そういう知識がない子どもたちにポンと出したら、何をしているのかすらわからない。
当然美味しそうに見えない。
だからその子どもたちに「日本人はなんで食べ物に色までつけてお花を作って食べるんだ」ということを説明するのに、「あなたたちの生活の中に落ち着きがない」という話をしたんです。
自分が食べる物に対する感謝、「いただきます」という言葉の意味とか。
「あなたたちの生活の中に一番欠けているのは心のクールダウンなんだよ」って。
私たちは彩ることによってそれを食べることを躊躇ったりしますよね。
壊したくないという思いがあるからありがたみが増す。「飾る」ということはそこに感謝の気持ちをふくらませる効果がすごくあるんです。
僕のパフォーマンスで看板にしている、一個の作品を10分でつくるというものがあります。
名付けて「菓舞技」。
美しく造形されたお菓子なので皆さんすごく高揚して観るんです。
10分かけて観客の集中がだんだん高まっていく中で、実は一番盛り上がるのが、これのファーストバイトなんです。
ナイフが入る瞬間が、ナイフを入れる人も観ている人も一番高揚するんです。
それってすごく、さっき言った「いただきます」の気持ちが高まっているんです。グーっとこの和菓子に集まっている 。
和菓子の触れ方魅せ方を自分なりに考えてやっているアクションがこの”菓道”というものです。
もちろん僕も色んなデザインを作って芸術として見せるからには、その造形美に趣を置いていますが、ぶっちゃけどんな形でも何色でもいいんです。
一番はそこに多くの人の興味が集まるか。
みんなが食べたい、もったいないと思う、気持ちが高揚するようなものがそこに有るか無いかなんです。
—— この先、和菓子界でどのような存在でありたいですか。
和菓子界でのダースベイダーでありたいですね。
やっつけられた方がかっこいいと思う。
修行して知識も技術もあるという人が出てきた時に、サロン・デュ・ショコラのあんこ版みたいな、エンターテイメントの祭典みたいな。
そういう基盤を作るひとつにでもなれたらいいな。
軽快な語り口で、自身の経歴、哲学、そして和菓子から飛び出て料理や写真についてまで、幅広くお話していただいた。本来食べ物は「飾」らなくてもお腹を満たすことができるはずなのに、なぜ人は食べ物を「飾る」のか。見過ごしてしまいがちな、食における「飾る」行為に込められた想いに改めて気が付かせてくれるもの、それが、菓道一菓流、三堀純一のスタイルにあった。