小学生の朝は早い。時間通りに登校するために早起きをし、早起きをするために早寝をする。我々はこの規則正しい生活リズムが一般的であると、幼い頃から刷り込まれてきた。それと同時に早起きを推奨され、朝に一日を始めることが理想的であると教えられてきた。
しかし、朝を「一般的」かつ「理想的」に迎えることのない人々もいる。
彼らが迎える朝とは、彼らが心に抱く朝とはなんだろうか。
今回は東京新聞編集局整理部で夜勤をされている越田普之さんにお話を伺った。
東京新聞編集局整理部 越田普之さん 略歴
2005年4月入社
2005年8月~2007年7月末 豊橋総局(取材)
2007年8月~2012年8月末 中日新聞整理部(名古屋本社)
2012年9月~2016年7月末 東京新聞整理部(東京本社)
2016年8月~2019年7月末 水戸支局(取材)
2019年8月~現在. 東京新聞整理部
整理部で働くということ
——整理部ではどんなお仕事をされているのですか。
私は実際に紙面を作る「面担」として、主に一面や二面、国際面を担当しています。
どの面を作るにしても、「記事の価値判断・見出しの作成・レイアウトを含む紙面構成」が整理業務の根幹ですね。
見出しは、簡潔かつ誤解を招かないものにすることが大事です。
レイアウトは、読者の目を引きつつ、読みやすいものにする工夫が求められます。
——入社前から整理部でのお仕事に興味があったのですか。
整理部については、当時はあまり詳しく知らなかったです。
大学生だった頃、学生新聞を書いていたのもあり、入社前は取材記者をやるつもりでいました。
やはり新聞社といったら記事を書く仕事であるイメージが強かったですね。
——整理部の仕事はその性質上、記事を書く経験をしていないと難しそうなイメージがあります。整理部に配属されるのは、ある程度取材記者の経験を積んでからなのでしょうか。
当社の方針で、若手であっても取材と整理どちらでも経験できるようになっています。
私は入社後まず取材記者をやって、そのあと整理部に移りました。
配属前から、整理部にいた同期に話を聞いたりしていましたが、実際に勤務してみたら思っていたより大変でした。
2年目くらいまではうまくいかないことが多かったですね。
取材記事を書くのにもトレーニングは必要でしたが、この仕事はそれよりも専門的なスキルが要求されると感じました。
——専門的なスキルを身につけていくうえで、具体的に行なっていることはありますか。
今まで作った紙面の小さいコピーを取って、そこに反省点を記録しています。
昔のものを見返すと、まあこの時よりはいいかなとか思ったりしますね。
ある日突然上達するっていうことはないので、今日より明日、っていう気持ちでやっています。
ただ、慣れるまでは毎晩うまくいかない夢を見ましたね。
毎晩といっても寝るのは朝ですが。
——このお仕事のやりがいはどんなところにありますか。
記事と整理記者の関係は、食材と料理人に例えられることがあります。
せっかく食材が良くても腕が悪くてダメにしてしまうときもあれば、逆に食材があまり良くなくても、見栄えがするように盛りつけるときもあります。
そういう意味で整理部の仕事は、取材記者が作成した記事を生かすも殺すも自分たち次第であるため、紙面の最終的なクオリティに責任を負う部分があると思います。
また、時間の面でも整理部が重要な役割を担っています。
入社したての頃、先輩や上司から締め切りに間に合わなければ0点だということをよく言われました。
整理部は取材記者から引き継いだ記事を、限られた時間の中でなるべくいいものにして皆さんにお届けしなければなりません。
この仕事のやりがいは、今言ったような二つの面で責任を負ったうえで、よりよい仕事を追求するところにあると思います。
整理部での一日
——現在の越田さんの一日のスケジュールを教えてください。
まず11時に起きて、ご飯を食べたり家事をしたり、新聞やニュース番組を見て過ごしていますね。
その後だいたい15時半に家を出て、16時半に出社します。
出社したら各紙の夕刊をチェックして、少しずつ朝刊作成の準備を始めます。
それから出来上がった記事が順番に送られてくるので、見出しを考えていきます。
完成の早いものは18時頃に、遅いものは締め切りの20〜30分前に送られてきます。
締め切りに遅れないようにするため、遅いものに関してはあらかじめ内容にあたりをつけていますが、実際に届いたら全く違うときもあります。
退社時間は遅いときだと午前1時半で、家に着く頃には2時を過ぎています。
なかなかすぐには寝られないので、5時くらいに寝ることが多いです。
名古屋の中日新聞本社に勤めていた若手の頃は、仕事が終わる時間が3時になってしまうこともありました。
——中日新聞本社に勤務されていた頃のスケジュールはどういったものでしたか。
出社時間は今より30分遅い程度だったのですが、退社時間が3時と、現在よりも随分と遅かったですね。
しかし当時は若くて体力があったので、仕事終わりに飲みに行って朝の6時や7時に帰宅することもありました。
まっすぐ家に帰っても、一日の振り返りや家事をしていたので、寝る頃には7時になっていました。
——昔よりも終業時間が早まり、業務に変化はありましたか。
ゆったり時間がある中で作業できる状況ではなくなり、早めに仕上げなくてはいけなくなりました。
でも身体への負担を考えると、早い方がありがたい部分もありますね。
夜とともに生きる
——夜勤をしていて困ったことはありますか。
入社してすぐは取材現場に出るために早起きしていたのですが、整理部に移ってから生活が昼夜逆転し、最初は時差ボケを起こすことが多々ありました。
寝られなかったり起きられなかったり、生活リズムをつかむのに苦労しました。
しかも、たまに夕刊を作るために日勤をすることがあって、そういう日は生活リズムをまた元に戻さないといけないので、そこだけは気をつけています。
あとは、仕事が終わった頃にはもう店が閉まっていたりもするんですけど、休みの日に日用品をまとめて買って対応していました。
——ご家族との関わり方はどうされていますか。
日勤の職場で働いている妻と2人暮らしで、下手すると全然顔を合わせないことがあります。
しかしそのような状況でも、なるべくコミュニケーションをとれるように工夫しています。
例えば、一緒に食事をとれない日はどちらかが作り置きをしたり、妻が私の帰宅まで寝ずに待っていてくれたりします。
他には、休みの日をなるべく合わせたりもしているのですが、自分がいつまでも寝ていてどこにも行けないことがあり、申し訳ない気持ちになります。
ですが、だからといって休日に早起きすることもなかなか大変です。
——仕事が終わって帰るときは、いつもどのような心境ですか。
うまくいったと感じた日はすっきりした気持ちで帰ることができますが、そういう日は今でも少ないです。
毎日その日の仕事を反省し、後悔します。
あの見出しで本当によかったのかなとか、どこか間違っていないかなとか。
朝が怖いと思ったことは何度もあります。
——整理部への配属が決まったとき、夜勤への抵抗感はありませんでしたか。
あまりなかったですね。
取材記者は、事件や事故が起きたりすると、ずっと仕事していなければならず、慣れるまで大変でした。
一方で整理部の仕事は仕事の始まりと終わりの時間がしっかりと決められています。
私には整理のメリハリのある働き方が合っている気がします。
——日勤だけの働き方をしたいと感じることはありますか。
確かに休日の朝、前日が夜勤だったせいで早く起きられないと、「せっかくの休みなのにもう14時になっちゃった」とか「どこか遊びに行きたかったのになあ」と思うことはありますね。
でも、だからといってすごく不健康だとか、マイナスには捉えていないです。
日勤だけの働き方をしたいと思ったことも特にないですね。
二つの朝
——何時から何時までを朝だと感じますか。
日が昇ってから昼になる前までの間だと感じます。
妻が仕事に行くための準備をしている音で起きるときや、カーテンの向こうから日が差してくるとき、朝だなと思いますね。
自分が起きるのが昼だからといって、その時間を自分にとっての朝だと思うことはないです。
そう思わないことの方が自然なんじゃないですかね。
あんまりそういう必要性もないのかなあ。
仕事が始まる頃には日も傾いてしまっていますし。
——一日の始まりと朝を一致させなくても良いということですか。
そうですね、お昼に起きて「あー今日も始まったな」っていう、そのぐらいですね。
若手時代、小学校の隣に住んでいたんですが、ちょうど子供たちが登校する時間帯に寝て、学校のお昼の放送で目を覚ますという生活をしていました。
そのことに対しても何か特に思うところはなかったですね。
「もう起きなきゃ」と思うだけでした。
このインタビューの依頼を頂戴したときも、どうお答えすればいいかわからなくて。
そこまで真面目に考えたことなかったですけど、物理的な朝と、私たちの一日の始まりはそれぞれ別のものだと思います。
アイキャッチ:東京新聞提供