涙の話をしよう-シンガーソングライター Mom インタビュー

インタビュー

 社会において、涙を流すことは否定されがちだ。大人にもなって泣くなんて情けない。人前で泣くなんてみっともない。産声をあげて生まれてきた私たちは、いつの間にかコントロールできるはずもない涙を、人に見せてはいけないものとしている。
 一方で、涙を流すことが肯定されることもある。努力の末に流す涙は美しいとされる。「全米が泣いた」という謳い文句で集客がなされる。そういった涙が肯定される場面で泣いていないと、薄情だと見なされるように感じるときがある。
 涙を流すことにも流さないことにも不寛容な社会で、私たちはその息苦しさを感じつつも、誰かと涙の話をすることはほとんどない。しかし、腹を割って話すことでその息苦しさを分かち合えないだろうか。
 シンガーソングライターであるMomさんは、繊細でリアルな感覚、まだ誰も言葉にしていないような感情を詩的に音楽へと昇華させる。その楽曲の中には、涙について歌ったものがいくつかある。鋭利な眼差しで現代を捉え続けるMomさんは、涙をどう捉えているのだろうか。その考えについて、アンケート形式で伺った。

Mom
シンガーソングライター/トラックメイカー。
現行の海外ヒップホップシーンとの同時代性を強く感じさせるサウンドやリズムを取り入れつつも、日本人の琴線に触れるメロディラインやリリックに、オリジナリティが光る。アートワークやMusic Videoの監修もこなし、隅々にまで感度の高さを覗かせる。2023年11月に6thアルバム『悲しい出来事-THE OVERKILL-』を、さらには2024年3月にshort album『産業』をリリースした。(Mom オフィシャルサイト参考)


――Momさんの楽曲は、心の奥底にある、内省的で繊細な感情を歌ったものが多いように感じますが、制作時に意識していることや大切にしていることは何ですか。

 創作へと向かっていく気持ちの流れは様々ですが、振り返ってみると「この気持ちはまだ誰も歌ってくれてないな」みたいなところが出発点になることが多いです。とはいえ意識的にやっているというよりも根源的な楽しさに突き動かされてやっている部分が正直ほとんどで、曲作りが勢いづいてくれば自ずと色んなテーマや出来事を巻き込んでいけるし、表立った関連性はないけど自分の中で必然性を感じているもの同士が歌を通じて繋がっていく瞬間が好きです。現状は好奇心を絶やさないことが一番大切だと感じています。湧いてくる好奇心をちゃんと検閲することも、忘れちゃいけない大事な作業です。

――2023年11月にリリースされたアルバム 『悲しい出来事-THE OVERKILL-』には「涙(cut back)」という曲がありますが、この曲は何をきっかけに、どのような思いで作られたのでしょうか。

 『悲しい出来事-THE OVERKILL-』はミッシングストリートという記憶の断片のような街を中心点として進行していくコンセプトアルバムです。「涙(cut back)」は終始ずっと自暴自棄の歌ですね。なんか何もかもしっくりこないな、みたいな時期は誰しもが経験するし、一定の周期で訪れたりするものだと思うのですが、自分の心が単にそういう状態なのか、それとも本当に空疎なものばかりが世の中あふれかえっているのか、いつも分からなくなります。生きることは答えがないものに答えを出すことの連続ですし、「僕はもうあなたにはなれないだろう1」とのシームレスな繋がりも含め、今の自分なりに心を決めていかなくちゃ、という気持ちで書きました。

悲しい出来事-THE OVERKILL-

――「涙(cut back)」において、涙から連想して使用した音はありますか。

 元々は多摩川で録った夕暮れのチャイムをサンプリングしたトラックだったので、ビート全体が涙というキーワードや情感をより意識したものになっていたと思います。制作を進めていくうちにどんどん音が削ぎ落とされていって、最終的に今の形に落ち着きました。歌のテーマに完璧に沿ったものよりも多少ミスマッチ感があるアレンジのほうがしっくり来る、という現象は往々にしてあります。ちなみにアウトロ部分に少しだけ当初のアイデアを忍ばせています。

涙-cut back

――「涙(cut back)」に限らず、涙に関する曲を公開後、聴き手から反応をもらったり自分で聴き直したりする中で、涙に対する意識や考えに変化はありましたか。

 「フリークストーキョー」という曲を公園で友達が弾き語りカバーしてくれたことがありました。それがなんか体験として凄くいいなと思った記憶があります。変化とかではないんですけど、気持ちを成仏してもらったような感覚で。この曲は 〈あなたのためにだけ 透明な涙流せたなら〉 というフレーズから始まります。



――涙にまつわるご自身以外の楽曲で、何かお好きな曲はありますか。

・Amy Winehouse「Tears Dry On Their Own」
・Jay-Z「Song Cry」
・The Streets「Dry Your Eyes」
・矢野顕子「ごはんができたよ」
・斉藤和義「空に星が綺麗」

全然思いつきませんでした!涙ソング、あまり意識したことがなかったです。

――Momさんにとって涙はどのような存在ですか。

 旧友!

――社会において、大人にもなって泣く人は情けない、人前で泣くなんてみっともない、などといった、涙を流すことに対して否定的な考えが浸透しているように思います。Momさんもこう感じることはありますか。また、社会で涙が否定されることについてMomさんはどう考えますか。

 他人に対して思うこととかはないですが、自分に対しては泣くことにどこか後ろめたさを感じてしまっている節があるかもしれません。男性中心的な社会の構造が弱さを見せられない価値観を生んだ一要因であり、そういった傾向は時代とともに少しずつ是正されているのかもしれないけれど、同時に自己責任的な考えは以前にも増して世の中に蔓延してしまっていると感じます。他人に差し向ける視線が厳しすぎる社会はただただ息苦しいだけです。自戒も込めて、実生活や創作の中で積極的に暴いていきたい領域ですね。

――泣くことに対して否定的な考えがある中で、Momさんの楽曲には「泣けない人には優しくない世界」という曲があります。泣けない人には優しくないと感じるのはどんなときでしょうか。

 泣くことについての歌を歌うとき、切り口はいくつかあると思います。社会的抑圧や、旧態依然とした性別役割に対する疲れとか、それを解体しきれない自分への自己批判みたいなものがある一方で、泣くことはある種の気持ち良さを内包していて、いまだに「泣ける映画」とか「泣ける歌詞」みたいな直球の触れ込みが有効だったりします。泣くという行為が粗雑な感情の処理になってしまうことの危うさはずっと感じていますし、「泣けない人には優しくない世界」で歌っている内容はこっちのニュアンスに近いのかなと思います。要するにカウンターソングです。この曲が収録されている『終わりのカリカチュア』というアルバムを作ったのがちょうど2021年の東京オリンピック開催時期だったので、スポーツが結果的に政治利用され、批判の声が無化されることに脱力感を覚えながら、それでも今この瞬間の納得いかない気持ちはちゃんと自分の中に刻みつけておこうという執念がありました。

泣けない人には優しくない世界



――泣きたくないのに泣いてしまうとき、泣きたいのに泣けないとき、それぞれ思い通りにいかない苦しさがあると思うのですが、もし涙をコントロールできるならしたいと思いますか。

 これはあくまでも個人的な話なのですが、何年か前に泣くことがすっかり習慣化してしまっていた時期があって、それが自分にとってあまり良い状態とは言いがたかったので、涙は街で偶然ばったりと会って話す友人のような距離感が心地良いのかなと思っています。

――涙は私たちに生まれつき備わっている機能ですが、生きていく上で必ずしも必要なものではないと思います。なぜ私たちは涙を流すのだと思いますか。

 僕は今年で27になります。少しくらいは自分がどういう人間なのか分かってきたのかなと思ったりもするのですが、いくら冷静でいようと努めていても油断すると人を傷つけてしまったりするし、ストレスで急に体調を崩したりすると自分が抱えているものの無頓着さや驕りにショックを受けます。揺り戻されるみたいに自己認識のズレを突きつけられます。それで最近は、自己認識なんて所詮はその程度のものなんじゃないかと思ったりします。自分を見つめ続けることは絶対にやめたくないけれど、涙は人の不完全さをそっと諭してくれる存在なのかもしれないですね。

――Momさんが涙について歌う理由は何でしょうか。

 自分の中で完全に整理がついてることや既に分かりきっていることはわざわざ歌にしないし、歌にすることで輪郭がはっきりしてくることもあれば、変わらず漠然としたままだったりもするし。そういう一回性も含めて創作を楽しんでいるところがあります。そもそも涙についてこんなに歌っている自覚もなかったのだけれど、複雑にからまった感情をそこに託しているのかなと思います。

  1. アルバム『悲しい出来事-THE OVERKILL-』において、「涙(cut back)」の次に収録されている楽曲 ↩︎

コメント