寄り道をしながら-雑談の人 桜林直子 インタビュー

インタビュー

 私たちはつい無駄な行為をしてしまう。勉強しないといけないのにスマホをいじってしまう。ダイエット中なのにお菓子を食べてしまう。自分がやったことなのに、その後には毎回罪悪感を抱かずにはいられない。
 さらに現代では、AIの誕生によりますます効率や生産性が求められ、その罪悪感の存在は大きくなる一方だ。AIは必ず指示通りに動き、その過程に無駄は存在しない。そう考えると私たち人間の特徴は、無駄な行為をすることだと言える。しかし、無駄は本当に無駄なだけなのだろうか。無駄にも価値を見出せないだろうか。不完全な私たちにしか得られないものが、無駄の中にあるはずだ。
 そこで、無駄な行為のひとつとも言える雑談を仕事としている桜林直子さんにお話を伺った。桜林さんは「雑談の人」という看板を掲げ、マンツーマンで雑談するサービス「サクちゃん聞いて」を行っている。桜林さんは雑談に何を見出しているのだろうか。

桜林直子
「雑談の人」という看板を掲げ、マンツーマン雑談サービス「サクちゃん聞いて」の提供、ジェーン・スーさんとのポッドキャスト番組「となりの雑談」の配信、ウェブマガジン「考える人」での連載などを行う。雑談に関すること以外にも、著書『世界は夢組と叶え組でできている』の出版、クッキー屋「SAC about cookies」の経営など幅広い活動を行っている。

――普段はどのような活動をしていますか。

 メインの活動は、私とマンツーマンで90分間雑談をする「サクちゃん聞いて」というサービスです。それから『となりの雑談』というTBSのポッドキャスト番組で、コラムニストのジェーン・スーさんとの雑談を配信しています。あと執筆の仕事もしていて、今は雑談について書く連載を持っています。他にも「SAC about cookies」というクッキー屋さんをオンラインで運営しています。

――雑談サービス「サクちゃん聞いて」は具体的にどのようなサービスですか。

 定期的に参加者をSNSなどで募集して、月に1回ぐらいのペース、90分×5回ワンセットで、オンラインで雑談するサービスです。ひと月あたり50~60人の方と雑談しています。

――雑談サービスを始めたきっかけを教えてください。

 雑談サービスを始める前はnoteというサービスを使って、仕事としてではなく、自分の考えを整理整頓するために文章を書いて投稿していました。それを読んで「自分も書くことで考えを整理整頓してみたい」と言ってくれる人がたくさんいたんですよね。ただ、実際に自分の考えを文字にしようとすると、しっくりこなかったり、本当にこの表現でいいのかなって感じてきたりする。そんなふうに、書くとなったら、自分の考えもそれを表す言葉もバシッと決めなくてはいけないような気がして、悩んでしまう。そういう難しさがあるようでした。書くことには人によって向き不向きがありますよね。そこで、「喋る」だったらできるんじゃない?と思って。目の前に絶対に話を聞いてくれる人がいて、そういう場で喋るのなら、何回でも言い直していいし、止まっちゃってもいい。私からも質問できますし。カウンセリングとか他にも人と喋る場所はあるけど、どれも気軽さがなかったり型が決まっていたりして、自由に喋っていい場はあまりないなと思い、そういう場をつくるために始めました。

――雑談サービスではどのように雑談をしているのですか。

 本当に皆さんそれぞれですが、話題をしっかり用意してくる人はあまりいないです。私としては相手が話したいことを話せないと残念なので、話したい話題があるか最初に確認していますが、特にこれといったテーマはないという人がほとんどなんですよね。そのときなんとなく気になっていることを話してもらったり、「話していない間の1ヶ月間はいかがお過ごしでしたか」っていう話から入ったりします。最近の出来事を振り返ったり、思い出したり。始まってから何が出てくるかな、みたいな進め方が多いです。最初は「うまく話せなかったらどうしよう」とか、「話が止まっちゃったらどうしよう」とか思う人もいますけど、話し出すと皆さんとにかく喋ります。なので、始まったらもうオートマチック。それを見ていると、みんな話す機会がなかっただけで、喋れない人なんていないんだなと思います。

――雑談サービスを利用する人はどのような人が多いのですか。

 来てくれる人のほとんどが「普段は聞き役になることが多い」と言います。聞くことは好きだし楽しいんだけど、話したい気持ちもある。でも思いっきり話せない、っていう人がすごく多いですね。本当は話していいし誰もそれをとがめないのに、話した後、自分の話ばかりしちゃったと後悔したり、罪悪感があったりする。だから、もっと気軽に自分の話をする機会をつくるために、皆さんサービスを利用するのかなと思います。

――初対面の人と雑談するときに緊張することはありますか。

 サービスでは、相手は私の文章を読んだりポッドキャストを聞いたりして、私がどういう人かを多少なりとも知っている状態だし、サービス自体数千回やっているので、緊張はしません。でも日常生活の中で、全く知らない者同士で雑談するのは苦手です。初対面の人との間を埋めるような会話は得意ではないし、できるようになりたいとも思わないですね。むしろそういう会話をしなくちゃいけない場では、こっそり帰ったりします。だから、いつでも誰とでも話せるわけではないし、コミュニケーション強者みたいなことではないです。

――雑談サービス中にはどのようなことを心がけていますか。

 当たり前のことだけど、相手に関心を持ってちゃんと聞くことを意識しています。普段の会話では、話を聞きながら自分の中で解釈が始まったり、次に自分が何を言うか考えたりしますよね。それだと相手の話をちゃんと聞けていないと思うので、相手への関心と興味をしっかり持ってちゃんと聞くようにしています。
 それと、自分の感情が混ざってくることも、相手の話を聞けていない状態だと思っています。相手がつらい話をしていると自分もつらくなるみたいなことがあると思うんですが、相手の感情を分かったつもりになるのはおこがましいと思うんですよね。私はもともと人の感情に影響を受けることはあまりないんですが、相手の感情は完全に分かるわけがないと思っているからこそ、相手の感情と自分の感情を混ぜないように線引きすることを心がけています。


――雑談サービスのどのようなところにやりがいを感じますか。

 やりがいがあるわけではないのかもしれないです。この仕事を続けているのは、楽しいからってだけなんですよね。私は今までずっとやりたいことがないタイプで、誰かのやりたいことをお手伝いすることが多かったんです。それでも人の役に立てるし、いろんな経験ができるから全然いいんですけど、人のやりたいことに乗っかっているだけで自分の感情や欲求には直結していなかった。自分から湧いてくる、楽しいとか悔しいとか、ああしたい、こうしたいっていう気持ちが真ん中にありませんでした。
 でも、雑談の仕事をしているとそういう自分の感情や欲求が湧いてくるんです。私は人の心の動きに興味があるから、相手が話す度に変わっていく様子や、逆に全く変わらない様子を見ているととにかく楽しいし、連続ドラマを見てるようで、人間って面白いなと感じます。あとたくさんの人と話していると、あるあるというか、傾向みたいなものが見えてくることがあって、それを見つけるのも面白いです。やりがいというよりも私が楽しいこと、やりたいこと思えることが全てです。

――サービスを始める前から、そういった雑談の楽しさは感じていたのですか。

 雑談の楽しさにはサービスを始めるより先に気づいていました。とあるワークショップに参加したとき、自分を表す動詞を考えるというコーナーがあって、そこでたどりついた動詞が、考える、分かる、言語化する、の3つだったんです。考えることはやめろと言われてもやめ方が分からないくらい当たり前にしていることで、それと同時に誰かの考えを分かりたいとも思う。分かるっていう瞬間、すごく楽しいんですよね。それで、分かったことを独り占めせずに、言葉にしたくなるんです。そこでどう言葉にしようか考えたときに一番良かったのが、「喋る」でした。「書く」でもできるんだけど、せっかちだからもどかしくなってしまう。「喋る」なら楽しくていくらでもできちゃうんです。
 さらにそのワークショップで他の参加者と話しているうちに、私は人よりも喋ることを楽しいと思っているんだと気づきました。同時に、人によって楽しいと思うことは全く違うし、私がしたいと思わないことを楽しいと感じる人もいると気づいたんです。参加者の中には整理整頓が好きな人がいて、私にはできないから驚きました。そこで、みんな好きなことが違うなら、それぞれやりたいことをしたらいいじゃんと思ったんです。そしたら実際、その場にいた多くの人がすでに自分が好きなことを仕事にしていたんですよね。楽しいだけの仕事なんてダメだよねって気がしていたけど、みんな楽しいと思うことが違うなら取り合いにはならないし、私も雑談を仕事にしてみようと思いました。

――雑談サービスの中で感じる雑談の良さはなんですか。

 雑談をする中で、何かを見つけられる可能性があるところですね。サービスを利用してくれる人は、普段聞き役にまわっているうちに、自分が何が好きなのかとか、何がしたいのかとか、そういう感情や欲求みたいなものに徐々に蓋をしてきてしまった人が多いんです。でも雑談サービスでは何も気にせず話せるから、「そういえば関係ないかもしれないんですけど」みたいな感じで、その場で思いついたその人自身の話が、ズルズルっと出てくる。それからどんどん話し出して「実はこれが好きかもしれない」とか、「好きだったのに、あれが原因で周りに好きと言えなくなっちゃったのかな」とか、本来の感情や欲求を自分で見つけていくんですよね。私は聞いているだけだけど、自分自身の力で何か見つけてくることが尊くて、素晴らしいなと思います。目的のある会話の中ではこういう発見はできないと思うので、そういう瞬間に立ち会うと毎回すごく嬉しいですね。

――目的のない行為は、効率や生産性を重視する現代で無駄だと切り捨てられることも多いように思います。そう考えたとき、雑談は一見無駄な行為と言えてしまうと思うのですが、それについてどう思いますか。

 無駄でもいいと思います。私自身、効率よく仕事をすることは好きなんですけど、雑談そのものには効率を求めていないです。だから、雑談では何を話してもいいと思っています。ほとんどが無駄な話のように思えるんですけど、そういう無駄な話をしないと得られない、きらりと光るものがあるんです。

――光るものとはどういうことでしょうか。

 私たちそれぞれが持って生まれた、変え難い特性ですかね。たくさんの人と話していて気づいたんですが、学校や会社などの周りと比較される環境で過ごしていると、多くの人が自分の価値を知らないうちに下げてしまうんです。その結果、誰かに自分を表現することが無駄なように感じてくる。でも、無駄だと思っていても話してくれないとその人だけの特性を見つけられないんです。「あなたのここすごくいいよ、私にはないよ」っていうものは誰にでもあるはずです。自分では価値を見いだせなくて、人に自分のことを話してもしょうがないって思っているかもしれないけど、無駄だとされているものを出してみることで見つけられる特性が一人ひとりにあると思っています。

――無駄な行為でしか得られないことがあるとしても、無駄なことをすると罪悪感を抱いてしまう人は多いように思います。私たちは無駄な行為とどうやって付き合っていくべきだと思いますか。

 基本的には好きにすればいいと思います。無駄なことをしたとしても、それが無駄だと分かっていればいいし、罪悪感も味わえばいい。むしろ、罪悪感を無くすために意義のあることだけをしようとする方が苦しいんじゃないかな。それで苦しむくらいなら、無駄なことでもやりたきゃやればいいと思います。
 でも、無駄な行為をしてしまったときに「違う違う、これやるんだった」って帰って来られる場所はあった方がいいかもしれないですね。その場所は、資格の勉強とか、そういう大層で目的が明確な行為じゃなくていい。心からやりたいと思えること、本当に自分がそうありたいと思えることに立ち戻れるんだったら、無駄なことをしても別にいいんじゃないかな。それに、実際に無駄だったかどうかは先に進んで振り返ってみないと分からないので、行為や時間の使い方が無駄かどうかよりも、自分で決めてやっているかどうかの方が大事だと思います。だから、人から見たらどんなに無駄でも、その行為をしたくてしているのか、別にしたくないけどやってしまったのか、自分の中でその違いを意識した方がいいと思います。

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