写真家 熊谷聖司さん

写真家の熊谷聖司さんは東日本大震災後、欲望について見つめ直した『EACH LITTLE THING』シリーズの制作をスタートされた。全10冊からなる、本シリーズの制作を通して見えてきた欲望とは一体何か。

熊谷さんが考える「欲望」とその付き合い方、そして写真の面白さについてお話を伺った。

『EACH LITTLE THING』のはじまり

——『EACH LITTLE THING』という写真集を作りはじめたきっかけを教えてください。

2011年の9月に最初の冊子を出したんですけど、それは東日本大震災がきっかけでした。


どこのチャンネルでも、毎日のように津波の映像が流れていて。価値のあるものや大事なものと、そうではないものが全部一緒に流されるというのを見せつけられたんですね。

その映像を観たあとは、自分の写真の作品を、どのように作ればいいのかと考えるようになりました。

とにかく写真集作りにおいては、読者にいっぱい見て大事にしてもらいたいというのが作り手の思いとしてあるのですが、それとは全く逆のところに立ってみようと思ったんですね。


だから買った人が見て、それがその人にとって役に立たなくなったら売っても良いし捨てても良いなというイメージでこの作品を作り始めたんです。

—— なぜ欲望をテーマにされたのですか。

自分の欲望に対し素直になろうと思ったんです。

そう思ったのは東日本大震災と関係があります。


東日本大震災では、津波により大事なものもゴミも全部等価に流されました。

そのことから、私たちの欲望には生きるうえで必要なものも不必要なものもあるけれど、それらを全部等価に写真で表現したいと思うようになりました。

一般的には欲望という言葉自体あまり良い意味で使われていませんが、何か食べたいでも、お金が欲しいでも、いろいろな欲望は果てしなくて、本当はみんな持っているはずですからね。

—— それは写真であらゆる欲望を写しとろうとしたということでしょうか。

別にそういうわけでもないんですね。


写真自体は、そんなふうには見えないと思います。

それでも全然構わなくて。


自分が欲望を写しとったものであるというより、写真集を作るというこの行為自体が自分の中の欲望について考えることでしたね。

写真を撮る段階では、撮りたいと思ったものを撮り、編集は高橋健介氏にやってもらい、自分の見ている欲望を客観的に見つめようと思いました。

—— 写真集を作るという行為を通して、欲望が一体どのようなものなのか、というのは見えてきたのでしょうか。

解らなくなってきまして。


でも解らないなりに、それは多分自分が生きていることの証でもあるなと。

欲望一つ一つをピックアップして、分析するのは無駄だなと思いました。

—— ではどのように欲望と付き合われていますか。

思うままにやるようにしていますね。


それで人から嫌われても、自分はそれがしたいのだから、やり方を変えることはしません。

—— みんなが大事にしているものはそれぞれ違って当たり前だから、ということですね。

当たり前だし、それでいいはずです。

他人から見たらすごく変なことでも別に良いと思います。


作品制作自体も自分にとってはすごく意味のあることだけれど、全然興味のない人にとってみたら「何これ?」という話だと思います。

—— 確かに人の賛同はそれほど必要ではないかもしれませんが、活動するうえで誰かからの賛同が無いとモチベーションが下がるときはありませんか。

多くの賛同を求めることはあまり無くなりました。
SNS上の「いいね」や、写真展への「いいね」という言葉より見た人の心が何か動くことのほうが大切で、それでOKなのです。

だから何か目に見える価値や言葉、賛辞みたいなものは全然俺には必要ではなく、もう好きに感じて、と思っています。

——そのようなスタンスでいると、だいぶ気が楽ですか。

気が楽な方向に自分を持っていきました。


制作をたくさんすることによって、何かを意識的に抑えていたことに気づけました。

これまでは、本を作ったらどうすれば早く売れるかを考えていました。

それは世の中で一般的に行われていることなんですが、商品価値として通常とは少し違うということを自分の中でだんだんと見つけていきました。

流通しているものだったら早く売りたいじゃないですか。

例えば、服などは今シーズン限りで、来シーズンになったら安くしたり廃棄したりしますよね。

自分の中にもそういう意識はもちろん常にあるけれど、それと一緒にしても仕方がない。


アートの世界というものは、時間がいくらかかってもいいし、理解されなくても全然構わない。

もちろん早く売れた方が良いのですが、ゆっくりでいいんじゃないの、というふうに考えていったんです。

被写体との「対話」

—— 被写体の欲望はシャッターを切るときに感じられますか。

それはもちろん感じます。

カメラを向けたときにどのように写りたいかというのは、その人の欲望ですよね。


「こういうふうに撮ってね」というサインみたいなものもありますし、人を撮るということは要するにコミュニケーションです。

それは人と人で行われていることだから、普段みんなが撮影するときもそれほど変わらないと思います。

—— このように写りたいという被写体の欲望と、このように写したいという欲望は、いつもマッチしていますか。

いつもマッチするとは言えません。

でもシャッターを切るかどうかの選択権はこちらにあるから、待っていても良いですし、何か言っても良いですし。

「ちょっとあっち見て」と言って被写体を動かすなかで、何かが生まれる可能性が高いです。

—— でもやはり撮る側に主導権があるのですね。

写真を撮るということは常にコミュニケーションで、他者と作っていることです。


だから、シャッターを切る側に主導権はあるけれど、どのようなものにしたいのかというお互いの気持ちは大事になってくるかもしれませんね。

写真の面白さ

—— SNSの普及によって日常的に写真を撮る機会が多くなり、写真はさらに身近なものになったと思いますが、写真を撮ることで自分の欲望を伝えることの面白さはありますか。

写真を見るという行為によってその人の目や脳や、その他のいろいろなところに作用することだけを目指しています。

だから「いい写真」というのは俺には少しわからなくて。

ワークショップを開くと「いい写真を撮るにはどうしたらいいですか」などと言われますが、「いや、別にそんないい写真撮らなくていいよ」と思います。


隙があるほうが俺は好きで、例えば一般の写真教室では画面構成を考えて余計なものは排除するのが良いとされる。

でも外を歩いているといろいろなものが目に入ってきていますよね。

それを写真に切り取っているわけですからそれで良いのになと思うのです。

なぜそこで画面構成するのかというと、絵画の影響があります。

絵画は構成を考えながら時間をかけて制作しますよね。


一方で写真は見たままの一瞬を捉える絵画とは違うものなのです。

「何か撮りたい」と思った一番フレッシュな気持ちだけでいいのです。

それが欲望の全てですね。

—— ありのままを写すということですね。

自分が感じた一番良いところだけを見るんです。


それが写真以外の全てのことにも当てはまっていくから、いろいろな考え方や認識を写真から学んでいますね。