「PSYCHO-PASS」が描く社会の善悪

——「PSYCHO-PASS」が描く社会では、シビュラシステムが人々を管理し、また善悪の判定すらも人間に代わって行なっています。作中では、暴行などをされて平静を保てなくなった被害者側もシビュラシステムによって潜在犯(註4)であると判定されるシーンがたびたび登場します。シビュラシステムは、どのような善悪の判断基準に基づいて裁きを行なっているのでしょうか?

シビュラシステムは、社会維持に貢献し「最大多数の幸福に対してメリットがあるもの」だけを正しいと判定する極めて全体主義的なシステムです。

例えば質問にあったようなエピソードでは、事件の被害者だとしても、一般市民や社会にとって危険な存在とシステムが判断すれば悪と診断されます。

本作品では、常にシステムの庇護のもと一般市民はストレスフリーで穏やかな生き方をしています。

そんな状況下で、これまでに経験のない恐怖体験で極度のストレスを受けた被害者と社会の中で生活を共にした場合、不安が伝播するとシステムが判断した。

数値化で善悪を測定した場合に、社会全体としてはデメリットが生まれる可能性をとったわけです。

もちろん、それが本当に正しいかどうかは別として。

—— 現代社会から見ると、とても不条理なことのように思えます。

はい、そうだと思います。だからこそ、システムが支配する世界に対して主人公たちが疑問を投げかけるドラマにしています。

第1期から最新作まで、シビュラシステムは人間に対して分かり易く善悪を提示していきます。

だけど常に最終的な選択は人間の手に委ねられる設定にしています。

SF作品を作っているので、極端に言えばもっと人の手を離れたシステムで完全支配された世界を見せることも可能でしたが、私たちが描きたい主題はそこにはありません。

コンピューター化された社会システムでも結局のところ人間の補助的な存在であり、人と社会を支える一つの大きな器でしかないのです。

その中で人間がどう判断して生きていくのかを問うのが「PSYCHO-PASS」という作品です。

何が善であるか、悪であるかという話を作りたいわけではなくて、見ている人に「それが本当に唯一の正解なのか」という疑問を持ってもらいたい、という意図でいつも作っています。

——「PSYCHO-PASS」における日本は、シビュラシステムの管理によって、ある一面ではユートピアとも言えるような繁栄を築いています。塩谷さんは、この社会をどう捉えていますか。

社会全体として見たときに繁栄している部分はありますが、それでもうまくいっているとは言えないと思います。

うまくいっていると言える人は、自分が社会システムによる恩恵を受ける立場にいると考えているからでしょう。

もし、うまくいっている側から否応なしに疎外される潜在犯側の立場になったとしたら、果たしてその社会を受け入れられるでしょうか?

全体が幸せなら自分や家族が社会の犠牲になっても構わないと思える人はなかなかいないんじゃないかなと思います。

そもそも、SFが描く近未来は基本的にディストピア(註5)だと私は思っています。

「PSYCHO-PASS」のような近未来を描くとき、その発想のタネになる部分は、今を生きる自分たちの不安なんです。

作り手である我々が現在の位置から想像し得る不安をキーワードにし描いて、その上で作品としての振り幅を出すためにそれを極端な形で見せる――飛躍しすぎず、見ている人がある程度現実味を感じられるギリギリのところを描くことで、視聴者にも現実世界に対して疑問を抱かせることができるのではと思っています。

それがあまりにも飛躍しすぎてしまうとただのフィクションになってしまい、先に述べたテーマを肌で感じられないですからね。

善悪の判断基準は存在する?

—— 善悪の判断基準は明確に存在すると思いますか。

難しいところですね。

ただ、僕たちが「PSYCHO-PASS」で描いた100年後の日本では、大多数の人の、「こうしたほうが社会はまだうまく回る」という考えが社会にとっての善を作り上げています。

でも人も価値観も変わっていくし、ある時代の善悪の判断基準が永遠に正しいものであり続けることは当然不可能ですよね。

最新作の「PSYCHO-PASS サイコパス3」では、長く続いていた鎖国状態を終え、段階的な開国政策に舵を切り替えた日本を描きました。

もともと鎖国という設定は、日本の現代社会において、日本人の大半が英語を喋れなかったり、島国である特性上、外国人に対して壁を作ってしまいがちな現状を発展させて作ったものでした。

その鎖国政策を廃止して、移民を受け入れなければならない状況になるのが第3期です。

これはインターネットで距離感が近づいた今の世の中と、人口が減少し続ける日本の現状と同じです。

自分たちとは異なる価値観を持つコミュニティと交わったとき、従来の基準は確実に変わっていきます。

絶対的だとか普遍的だと思っていたものが変わらざるを得なくなったときに、僕たちはどう生きるべきか、どう考えるべきか。

それは今まさに私たちも考えなければいけない問題です。

第3期では、そういった問題に直面した人間の苦悩や葛藤を描いています。

—— では、本来流動的であるはずの基準をなぜ絶対的なものだと考えてしまうのでしょうか。

これはシビュラシステムの正体にも繋がる話なのですが、社会規範とか、法律とか、そういった判断の基準は結局どこかの誰かが決めたものでしかないんです。

だけど、「法」や「システム」といった言い方に変換したとき、それが見えにくくなってしまう。

実際には自分と同じ人間が定めたに過ぎない基準が神格化されて見える。

でも人の手を介している以上、絶対的に正しいのではないということを忘れてはいけないと考えています。

シビュラシステムは、あくまで「基準」というもののひとつの側面を具現化した存在です。

要は問い続けること、考え続けることが大事なんです。

「PSYCHO-PASS」は、一つの結論を提示するのではなく、問い続ける行為それ自体をテーマにした作品だから、何年も作り続けられているのかなとは思いますね。